明智光秀とその周辺|小和田哲男 第6回 本国寺の戦いから二条城の築城へ

上洛し、将軍になったものの足利義昭には京における将軍御所はなかった。永禄8年(1565)5月19日の三好三人衆(三好長逸(ながやす)・三好政康・岩成友通)らによる襲撃で足利義輝の将軍御所が焼けてしまったからである。そこで信長は、義昭を清水寺に入れ、すぐ将軍仮御所の普請にかかった。

そのとき選ばれたのが六条の本国寺という日蓮宗の古刹である。当時、京都市下京区柿本町にあり、現在は京都市山科区御陵大岩町に移転している。

『本圀寺志』によると、信長の命令で、義昭が将軍になった永禄11年(1568)10月から寺全体を取り囲む惣構土手の普請がはじまっている。

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