超入門! お城セミナー 第47回【歴史】どうして琵琶湖のまわりにはお城がたくさんあるの?

初心者向けにお城の歴史・構造・鑑賞方法を、ゼロからわかりやすく解説する「超入門! お城セミナー」。今回のテーマは琵琶湖について。戦国時代から江戸時代にかけて、安土城や彦根城など琵琶湖周辺にはたくさんの名城が築かれました。なぜ、琵琶湖に城が集中したのかを地理を足がかりにして解き明かします。



琵琶湖、お城
 日本一面積が広い湖・琵琶湖。上古から交通の要衝として利用されており、天智天皇の御代には都が置かれていたこともあった(写真は彦根城三重櫓からの撮影)

「城の国」を生み出した日本最大の湖

滋賀県・琵琶湖の近くにある城と聞けば、どこが思い浮かぶでしょうか? 国宝の現存天守がある彦根城(彦根市)に、城下町が人気の長浜城(長浜市)。城跡なら、安土城に観音寺城(ともに近江八幡市)、佐和山城(彦根市)、小谷城(長浜市)など。ちょっとあげるだけでもこれだけ出てくる琵琶湖周辺。

ここ近江国(滋賀県の旧国名)は、城跡が全国屈指の1300か所以上もある「城の国」なのです。なかでも琵琶湖周辺には、上にあげたような有名どころがズラリ。いったいなぜ、琵琶湖周辺に重要な城が集中しているのでしょうか? 今回は、この理由を探ってみましょう。

彦根城、琵琶湖
 佐和山城から見た彦根城。琵琶湖に面していることが分かるだろう。戦国時代から江戸時代にかけては、このように琵琶湖に隣接する城が多数築かれた

まずは、琵琶湖の地理からアプローチ。琵琶湖があるのは日本のほぼ中心で、東西南北をつなぐ要の位置です。古代から中世は、畿内を拠点に全国にのびた幹線道路だった「七道」のうち、東海道(関東方面)・東山道(東北方面)・北陸道(北陸方面。北国街道とも)の3つの道の出発点になっていました。

関ヶ原の戦いの後、徳川家康が江戸を拠点に整備した「五街道」でも、東海道(京都終点)と中山道(草津または大津終点)が通っています。現代の主要交通路である東海道新幹線も琵琶湖の近くを通っています。昔は今より水運が活用されていたこともあり、琵琶湖は古代から現代に至るまで、人や物が行き交う非常に重要な交通の要衝だったのです。

草津宿、琵琶湖
 琵琶湖付近にある草津宿は東海道と中山道が合流する宿場で、500軒以上の宿を擁する大きな宿場町だった。本陣が現存するなど、現在でも江戸時代の情緒を味わえる町である。(写真は田中左衛門本陣)

時代の最先端の城が建てられた琵琶湖

次に、近江の歴史を簡単に振り返りましょう。戦国時代、近江では激しい勢力争いが巻き起こりました。紛争地帯ということは、軍事的防御施設である城がたくさん築かれたということ。南近江には、近江国守護(地方行政の官職)の六角(ろっかく)氏。小脇館(東近江市)から金剛寺城(近江八幡市)、そして信長が安土城築城の参考にしたともいわれる石垣の巨大山城・観音寺城と、情勢によって本城を移しています。

北近江には、六角氏と同族の京極(きょうごく)氏。本拠地は伊吹山の山腹・上平寺城(米原市)でした。支配領域の境界線を守った「境目の城」である鎌刃城や太尾山城(どちらも米原市)、佐和山城では何度も攻防戦が繰り広げられました。

観音寺城、伝平井丸虎口
 観音寺城の伝平井丸虎口。観音寺城には、当時最先端の技術だった石垣が各所で使われている

やがて、京極氏の家臣だった浅井(あざい)氏が下剋上で台頭します。織田氏と同盟を組み、六角・京極に替わる勢力となった浅井氏の本拠地は、巨大山城・小谷城。ここから琵琶湖へ西の延長線上に築かれた丁野山城と山本山城(どちらも長浜市)をはじめ、浅井の支城は70城ほどもあったとか。

後に浅井長政(ながまさ)が織田信長との同盟を破り、小谷城は織田軍に攻略されますが、小谷城攻めのために織田軍が使用したのが、もとは浅井の支城だった横山城や、前線に付城として築いた虎御前山城(どちらも長浜市)です。

信長は、湖南に明智光秀の坂本城(大津市)、湖北に羽柴秀吉の長浜城、湖西に甥・津田信澄(つだのぶずみ)の大溝城(高島市)を築城して近江を完全に勢力下においた後、近世城郭のパイオニア・安土城を築きます。こうして琵琶湖城郭ネットワークを構築し、琵琶湖を制することで政権を確立していったのです。

また、秀吉の時代には全国津々浦々にまで普及した近世城郭が近江で誕生したのは、石垣技術集団・穴太衆(あのうしゅう)の本拠地が、比叡山の近江側の麓・坂本だったことも大きかったでしょう。

穴太積み
 穴太衆は、比叡山延暦寺や日吉大社など近隣寺社の石工の仕事を請け負っていた集団だった。延暦寺の里坊があった坂本の町には、現在も穴太積みの石垣が残っている

関ヶ原の戦い後、徳川家康が天下人となり政治の中心が東に移ると、近江は東西日本の境目として、やはり重要な場所となります。家康は、大坂の豊臣氏と西国大名へにらみをきかせるため、湖東に彦根城を築いて重臣である井伊家を配したのです。

彦根城
 西国の押さえを担った彦根城。美しく威厳のある建物と実践本意の縄張を兼ね備えた城である

このように古代からの交通の要衝であり、有力大名たちの紛争の舞台となり、天下統一のためにも掌握しておきたい重要地点だった近江国・琵琶湖は、歴史とともに城の数も増えていったのです。

今回は触れていませんが、地方豪族が割拠した滋賀県南部の甲賀地域も、全国有数の城郭密集地です。1300越えの「城の国」。時代・人物・立地・構造など、テーマを決めてお城めぐりのコースを設定すると、より奥深い探訪となりそうですね!


執筆・写真/かみゆ歴史編集部
ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。かみゆ歴史編集部として著書・制作物多数。

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