超入門! お城セミナー 第45回【構造】御殿には「表」と「奥」があるって本当?

初心者向けにお城の歴史・構造・鑑賞方法を、ゼロからわかりやすく解説する「超入門! お城セミナー」。今回は、名古屋城の本丸御殿復元公開で注目を浴びた御殿について解説します。現存例が少なく天守の存在に隠れがちな御殿ですが、江戸時代の藩政において天守よりも遙かに重要な建物だったって知っていましたか?



名古屋城本丸御殿
 2018年6月に完成公開した名古屋城本丸御殿。明治から昭和にかけて撮影された古写真や『昭和実測図』などの史料から史実に忠実な復元がされている

藩政の中心であった御殿、その役割とは

駿府城(静岡県)の天守台発掘や鳥取城(鳥取県)の擬宝珠橋完成など2018年には様々なお城ニュースがありましたが、それらの中でもお城ファンの注目を集めたのが6月に全体公開された名古屋城(愛知県)の本丸御殿。金銀極彩色の障壁画や彫刻の数々に圧倒された方も多いでしょう。

豪華絢爛な建築を持つ御殿ですが、その役割を説明できる人は多くはないのではないでしょうか。今回はそんな御殿の役割について解説していきます。

御殿の役割を一言で説明すると「政庁」と「城主の住居」です。現代でたとえるならば、都道府県の本庁舎と知事の公邸(あるいは公館)が合体した建物といったところでしょうか。

城内御殿は中世の山城には存在しない建物でした。武田家が躑躅ヶ崎館を政治の場として使い、緊急時は要害山城(いずれも山梨県)に籠もったように、中世は城と政庁が別々の場所に置かれるのが一般的でした。

朝倉義景館跡
 朝倉氏の本拠地・一乗谷(福井県)から発掘された朝倉義景館跡。客をもてなす庭園や会所、城主が住んだ常御殿の跡などが確認されている

織豊期になり大名の力が強くなってくると、石垣をめぐらせ豪奢な建造物を配した近世城郭が登場します。城はより広大な平地に築かれるようになり、政庁や城主の住居も御殿として城内に造られるようになったのです。

本丸御殿、二の丸御殿、三の丸御殿…って?


御殿は配置された場所によって本丸御殿、二の丸御殿、三の丸御殿などと呼ばれました。必ずしも本丸御殿が政庁となったわけではなく、地形の制約上本丸が狭くなる平山城などでは、広い二の丸や三の丸に御殿を築くことがありました。

築城当初は本丸御殿を政庁にした城でも、奥まった場所にある本丸が不便になったり、本丸を将軍の宿泊用に提供したりしたために政庁機能が二の丸や三の丸に移動した例が。伊達政宗の居城として名高い仙台城(宮城県)は、戦国時代が終わって間もなかった築城当初は青葉山山頂の本丸に御殿が築かれましたが、江戸幕府が確立し太平の世となった息子の忠宗の代になると広く利便性のよい二の丸に御殿が移されています。

また、先ほど紹介した名古屋城の本丸御殿も元々は城主である尾張藩主の住まいでしたが、後に将軍の宿泊所となり、藩主は二の丸へと引っ越しをしています。

明治時代になると廃藩置県で藩が廃止されため、御殿は無用の長物となり、次々と取り壊されていきます。破却を免れた御殿も災害や戦争で多くが失われたため、現在は二条城二の丸御殿(京都府)、高知城本丸御殿(高知県)、川越城本丸御殿(埼玉県)、掛川城二の丸御殿(静岡県)の4例しか残っていません。

天守は12城に残っていますから、実は御殿は、天守以上に貴重な遺構なのです。

二条城、二の丸御殿
 二条城の二の丸御殿。将軍の宿泊所として使用されており、将軍が朝廷の使者との対面に使った「勅使の間」などが見学できる

「表」と「奥」2つの機能を持っていた御殿

政庁にして城主の住居でもあった御殿は、その機能によって「表」と「奥」に分かれていました。簡単に説明すると「表」は城主や家臣が政治を行う政庁で、「奥」が城主とその家族が暮らす私邸です。

「表」には玄関、広間、書院などが配置され、家臣や使者との対面、行事や儀式などが行われていました。

家臣などとの対面は広間や書院で行われますが、対面相手の身分によって部屋の格式を変える必要があったため、表御殿には多数の広間や書院を設けるのが一般的でした。また、各人の歓待を行うため、能舞台や茶室なども表御殿には設けられています。

城主が日中に執務をする居間や寝室などは表御殿の後方に位置しており、「中奥」と呼ばれていました。ちなみに、中奥という言葉は正確には歴史用語ではなく、江戸時代などの絵図では将軍の執務室や寝室は表御殿に含まれています。

名古屋城本丸御殿、梅の間
名古屋城本丸御殿で家臣の控え室として使われていた梅の間(左)と将軍の座した上洛殿(右)。欄間や襖絵などの装飾に部屋の格が表されている

「奥」は城主の私室の他、正妻や側室の住居がありました。身分の高い女性達が住まうため、人の出入りは厳しく制限され、表との境界となる扉に鍵が取り付けられる事もあったようです。また、風呂や厠(トイレ)など生活には欠かせない施設も完備されています。

将軍専用の湯殿
名古屋城本丸御殿に復元された将軍専用の湯殿。現代でよく見る浴槽はなく、サウナのような蒸し風呂であった

城主一族に使える女中や、夫人たちの着物を仕立てるお針子なども奥御殿に住んだため、表御殿よりも広い敷地になることが多かったようです。時代劇などでよく出てくる江戸城(東京都)本丸の奥御殿「大奥」の敷地面積はおよそ6300坪で、表と中奥をあわせた面積よりも広かったといいます。

城主が自分の権力を誇示するために豪華絢爛に造った御殿では、装飾の美しさを楽しんだり、当時の藩政がどのように行われていたかを推察したり、見方によって様々な楽しみ方が出来ます。現存している4城はもちろん、復元された御殿にも足を運んで、当時の大名たちの暮らしに思いを馳せてみてください。


執筆・写真/かみゆ歴史編集部
ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。かみゆ歴史編集部として著書・制作物多数。

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