戦国10大合戦と城|小和田哲男 第4回 賤ヶ岳の戦い

賤ヶ岳の戦いそのものは天正11年(1583)4月21日のことであるが、戦いはその前年からはじまっていた。前年、すなわち天正10年(1582)6月2日の本能寺の変の後、織田家の家督問題と遺領問題をめぐって清洲会議が開かれ、織田家の家督は信長の長男信忠の子三法師に決まり、羽柴秀吉は自らの所領だった北近江と、居城長浜城(滋賀県長浜市)を柴田勝家に譲っていた。

ところが、その年も押しせまった12月7日、秀吉が5万の大軍で長浜城を攻めはじめたのである。勝家の居城越前北庄城(福井県福井市)が雪で埋もれ、大軍を動かすことができないことを見込んでの軍事行動であった。

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