明智光秀とその周辺|小和田哲男 第4回 朝倉義景家臣時代の光秀の屋敷

明智城(岐阜県)を脱出したあと、明智光秀はどこに向かったのだろうか。江戸時代に書かれた『明智軍記』には、各地を武者修行して歩いたと書かれているが、そこに出てくる城下町が光秀時代の場所ではなかったところが多く、そのままには信用できない。『武功雑記』に、三河の牛久保城主牧野右京大夫に仕えたと出てきており、明智城のあった東美濃と三河は近接しているので、その可能性はあったかもしれない。

ただ、同時代の人が書いた史料によると、光秀はすぐ越前に向かったようである。

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