籠城戦で敵を撃退した戦いを検証する|小和田哲男 第3回 河越城の戦い

戦国大名北条氏の初代伊勢宗瑞(そうずい)(北条早雲)は、駿河の今川氏親を補佐していたこともあり、氏親とその跡を継いだ氏輝のときまで、北条・今川同盟が成立していた。ところが、氏輝の死後、家督を継いだ義元が、北条氏とは敵対関係にあった甲斐の武田信虎と手を結んだため、宗瑞の子氏綱は今川氏と敵対し、駿河に攻め込んでいる。天文6年(1537)のことで、これを「河東一乱」とよんでいる。

氏綱の死後、北条氏3代目当主となった氏康も義元と敵対していたが、ちょうどそのころ、氏康は、関東の旧勢力である扇谷上杉朝定・山内上杉憲政の「両上杉」、

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