理文先生のお城NEWS解説 第28回 岐阜城山上部の調査

永禄10年(1567)、稲葉山城攻略に成功した織田信長が、小牧山から居城を移転しました。信長は、山麓に四階建の御殿を築き、山頂部にも居住施設を築いています。ルイス・フロイスの記録や発掘調査により、山麓御殿の様子が判明しつつあります。しかし、標高329mの金華山山上部の城の様子は、ほとんど解っていません。

山上部の城は、天文8年(1539)守護代・斎藤利政(後の道三)が作りを始めたとされています。その後、義龍、龍興と斎藤氏3代の居城だったのです。信長がその居城を安土城(滋賀県近江八幡市)に移すと、嫡男・信忠が城主になりました。

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