昭和34年(1959)、西外堀の水枯れを契機に「大坂城総合学術調査団」を組織した大阪市・大阪市教育委員会・大阪読売新聞社は、大坂城跡に対する史上初の本格的な学術調査に乗り出しました。上町台地の地質を調査するために行ったボーリング調査で、本丸地盤が10m前後のもの盛土が施されていることが判明しただけでなく、天守台石垣西南隅から南へ45mの地点の地下約9.3mで石垣にあたり、そこから12mの深さまで花崗岩で積まれた石垣の存在が推定されたのです。
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