明智光秀とその周辺|小和田哲男 第12回 信長の安土行幸計画と本能寺の変

信長が築いた安土城に「御幸(みゆき)の御間(ごま)」があったことは『信長公記』にも記載があり、その存在は知られていた。御幸はいうまでもなく天皇の行幸で、安土城にはそのための部屋が用意されていたのである。

正親町天皇の安土行幸計画が天正5年(1577)にあったことは山科言継の日記『言継卿記』所収の山科言継宛阿茶書状に、「ミやうねんハあつちへ大りさまきやうこう申され候ハんよし、あらあらめてたき御言候や」とあることによって明らかである。

では、その「御幸の御間」は安土城のどこにあったのだろうか。

こちらの記事は会員限定です。

城びと会員登録(無料)をすると
続きをお読みいただけます。

関連書籍・商品など