城と光秀|小和田哲男 第11回 福知山城と明智秀満

明智光秀は、天正10年(1582)6月2日に本能寺で主君・織田信長を討ったということで、どうしても主殺し(しゅうごろし)の悪人、謀反人としてとらえられがちである。ところが、福知山では光秀は神に祀られている。それが御霊神社で、祭神が光秀なのである。

御霊神社所蔵の宝永2年(1705)に書かれた「明智日向守光秀祠堂記」によると、光秀が城下の地子銭を免除したことに感謝したことが理由の一つだったことがわかる。

また、光秀が福知山城を築くとき、城下を水害から守るために、川の流路を変え、堤防を築いたことも理由としてあげられている。

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