戦国10大合戦と城|小和田哲男 第10回 関ヶ原の戦い

慶長5年(1600)9月15日の関ヶ原の戦いは、実際に徳川家康率いる東軍7万4000と、石田三成を中心とする西軍8万4000が美濃の関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)で衝突したのでその名があるが、はじめから関ヶ原が戦場として想定されていたわけではない。

三成は、はじめは伊勢・尾張を防衛ラインと考えていた。それは清洲城(愛知県清須市)の福島正則を取り込むことができると考えていたからである。豊臣恩顧の大名の筆頭ともいえる福島正則が家康に付くとは思ってもみなかったのではなかろうか。

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