明智光秀とその周辺|小和田哲男 第10回 安土の左義長から京都御馬揃えへ

左義長(さぎちょう)とはあまり聞き慣れない言葉であるが、字は三毬杖、三毬打、三鞠打などとも書かれる。小正月に行われる火祭り行事で、現在でも、どんど焼きや御幣(おんべ)焼きなどという形で残っている。

この左義長を、信長は天正9年(1581)正月15日、安土城下で盛大に催しており、その準備にあたったのが光秀だった。それは、左義長が終わったあとの正月23日付光秀宛の信長朱印状(「士林証文所収文書」『織田信長文書の研究』下巻)に、「先度は、爆竹諸道具こしらへ、殊きらびやかに相調え、思ひよらずの音信、細々の心懸神妙に候」とあることによって明らかである。

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