城と光秀|小和田哲男 第10回 丹波のもう一つの拠点周山城

本能寺の変で織田信長を討った武将として知られる明智光秀。2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」では主人公としてその人生が描かれます。「麒麟がくる」の時代考証を担当される小和田哲男先生による連載「城と光秀」の第10回目。今回は、明智光秀が築いた城の一つ、周山城(京都府)について解説します。

築城年代不明の周山城

明智光秀が築いた城というと、近江では坂本城、丹波では亀山城福知山城が知られている。今回、ここで取りあげる周山城を知っている人は意外と少ない。それは、周山城のことが文献上ほとんど出てこないからである。築城年代からして不明で、丹波の地誌『丹波誌』には天正8年(1580)と記されているが、何を根拠にしたのかがはっきりしていない。その前年の可能性もある。

周山城の場所は、現在の京都市右京区京北周山町で、京と若狭を結ぶ周山街道沿いに位置する。周山街道は別名長坂街道ともいい、通称「鯖街道」の一つとしても知られ、日本海の物資が京に運ばれるルートであり、また、麓の桂川(大堰(おおい)川)が流れ、材木供給の水運のルートともなっており、交通の要衝であった。この立地からも、光秀が何の目的で周山城を築いたかがわかる。

城は桂川と支流弓削(ゆげ)川の合流点の西側に広がる丘陵上、標高480m、比高230mの山頂を中心に築かれ、本城部分(「東の城」)と、少し離れたところにある「西の城」とよばれる二つの空間からなり、南北620m、東西800mという広大な山城である。

麓から山上を望む
麓から山上を望む

ちなみに、周山城という城名について、江戸時代の儒医江村専斎が語った話をまとめた『老人雑話』に、光秀がいずれは天下を取りたいと考え、自らを周の武王に見立てて「周山」と名づけたということが見えるが、すでに周山という地名はあったので、これはこじつけである。

文献がほとんどないといったが、全くないわけではない。光秀と親しかった茶人の津田宗及が光秀の招きで周山城に登ったときの様子が『津田宗及茶湯日記』に見える。その天正9年(1581)8月14日の記事につぎのように記されている。

丹波国周山へ越候。惟任日向守殿被成御出候。十五夜之月見、彼山ニ而終夜遊覧。

おそらく、そのころには周山城は完成していたのであろう。

光秀の築城術がよくわかる周山城

光秀の近江における居城だった坂本城は、現在、その痕跡がなく、どのような縄張だったかは推定復元図を見るしかない。すでに第6回の「宇佐山城から坂本城へ」のときに述べたように、坂本城は光秀の築城を語るにあたって落とすことはできず、安土城より早く「天主」が築かれ、信長家臣団の中にあって、光秀の築城術は群を抜いていたものと思われる。ルイス・フロイスが『日本史』の中で、「築城について造詣がふかく、すぐれた建築手腕の持ち主」と評しているくらいである。しかし、そのことを坂本城でたしかめることはできない。

それが、周山城でたしかめられるのである。まず、何よりも目を引くのは石垣で、本城部分の本丸周辺は総石垣のつくりとなっている。また、虎口の部分もしっかりとした石組みで、光秀時代の石垣をこれほど良好に残しているのは周山城だけである。

本丸西側の石垣
本丸西側の石垣

注目されるのは、本丸中央部にある天守台で、穴蔵式となっていて、付近からは瓦も出土しているので、瓦葺(ぶ)きの建造物があったことがわかる。光秀が宗及らと月見を楽しんだのがこの建物だったのだろう。天守台というのは後世の呼称なので、そこに天守があったかどうかは文献的には明らかではないが、石垣・瓦葺きということになると、そこに天守があってもおかしくはない。

本城部分は主郭ともいうべき本丸を中心に、北・東・南・西と四方向に続く尾根を放射状に上手に使い、50ほどの曲輪を築いており、また、随所に「折れ」を入れ、「横矢がかり」も設けていて、織豊系城郭の到達した姿を見せてくれる。

本丸の虎口
本丸の虎口

織田信長時代の城は、その後、豊臣秀吉や徳川家康によって造り変えられるものが多く、信長の時代の姿をそのまま止める城は少ない。周山城も、その後、秀吉の家臣加藤光泰が入ったことが『寛政重修諸家譜』に記されているが、短期間の在城で、手を入れた可能性は低く、光秀時代の縄張がそのまま現在に残ったものと思われる。

なお、実際に周山城の守備を任されていたのは光秀のいとこにあたる明智光忠であるが、光忠は本能寺の変で負傷したため、療養していたところ、山崎の戦いで明智軍が敗北したことを知らされ、自害したという。

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執筆/小和田哲男(おわだてつお)
公益財団法人日本城郭協会  理事長
日本中世史、特に戦国時代史研究の第一人者として知られる。1944年生。静岡市出身。1972年、早稲田大学大学院文学研究科 博士課程修了。静岡大学教育学部専任講師、教授などを経て、同大学名誉教授。
著書 『戦国武将の手紙を読む 浮かびあがる人間模様』(中央公論新社、2010)
   『明智光秀・秀満』(ミネルヴァ書房、2019)ほか多数