PR 歴史ファンの夢の島・対馬の魅力を萩原さちこさんと山城ガールむつみさんが発信するプロジェクトが始動!

長崎県の対馬は、朝鮮半島を臨む「国境の島」。対馬には、天智天皇の時代に「国防の最前線」として築かれた古代山城の「金田城(かねだじょう/かなたのき)」、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に、肥前名護屋城(佐賀県唐津市)から、壱岐、朝鮮半島を結ぶ中継点として築かれた「清水山城」、朝鮮通信使を迎える際に迎賓館の役割も果たした「金石城」など、大陸との交流の歴史を物語るスポットがたくさんあります!
んな対馬の魅力を伝えるべく、城組の萩原さちこさんと山城ガールむつみさんが現地を訪れ、ディープな対馬をSNSで発信していくプロジェクトが始動しました。今回は特別に、そのプロローグとして掲載されている城組の金田城のレポートから、金田城の注目ポイントをピックアップしてご紹介します。

金田城

以前「金田城まるごと探訪ブック」「金田城まるごと探訪ムービー」を制作された城組の萩原さちこさんと山城ガールむつみさんが対馬を再訪。対馬の魅力をディープに発信すべく、さまざまなスポットを取材しました。今回はそのプロローグとして掲載された萩原さちこさんの金田城のレポートから、注目ポイントをみてみましょう。

対馬は「国防の最前線」!? そもそも対馬はどこにある?
対馬


でも、そもそも「対馬」って一体どのあたりにあるのでしょうか? 「国境の島」ともいわれますが、一体どのくらい「国境」なのか気になりますよね?

対馬は、九州と朝鮮半島のちょうど中間に浮かぶ島。
福岡の博多から対馬南部の厳原までは航路で132km、対馬北端の比田勝から韓国の釜山までは49.5kmです。
なんと、朝鮮半島のほうが近いんです!
対馬北部に行くと、気をつけないと携帯電話が韓国の電波を拾っちゃいます。笑
(「<対馬探訪2023> プロローグ1/4 対馬は歴史ファンの夢の島!」https://www.4693shirogumi.com/blog/detail/id=117より)

そんな対馬に築かれたのが金田城。
日本史を学校で習って以来、なぜか多くの人の記憶になんとな~く残る天智2年(662)の「白村江の戦い」。唐・新羅に侵略された百済を救済するために、日本と百済連合軍が戦い、大敗した戦いです。この後、唐・新羅の侵攻を恐れて中大兄皇子(のちの天智天皇)が、国防目的に築いたお城の一つが金田城です。現在も見事な石塁が残っており、「国指定特別史跡」の長崎県第一号に指定されました。続日本100名城の一つでもあります。

萩原さちこさんが注目する金田城の魅力とは?

金田城には特徴や魅力がたくさん! 今回のレポートで萩原さちこさんが注目したポイントをピックアップしてご紹介!

国家プロジェクトだった「古代山城」特有の規模と技術力の高さ! 石塁に注目!

金田城

金田城は、今から約1350年前につくられた「古代山城」のひとつです。
663(天智2)年の白村江の戦いで、日本(倭)・百済連合軍は、唐・新羅連合軍に大敗。
「ヤバい!唐と新羅が日本に攻めてくるかも!」と国家存亡のピンチに面した大和朝廷が、
同盟を結んでいた百済の貴族の指導を受けて築いた国防目的の城が「古代山城」です。
(「<対馬探訪2023> プロローグ2/4 金田城の5つの魅力【前編】」https://www.4693shirogumi.com/blog/detail/id=118より)

時代が下って戦国武将などが「家」や「自領土」単位の攻防目的で築いたお城と違い、古代山城は大陸から国を守る「国家プロジェクト」として築かれているため、おのずと規模は大きくなり、高い技術も全力投入されたそうです。

それを端的に見て取れると萩原さんが紹介されているのが、比類なき石塁!
この写真を見ただけでもすごさが感じられますが、金田城の石塁は長さも高さもすごい。尾根にそって最大高さ約7mの石塁が、堂々2.2km(総延長2.6km)も残っています! 

金田城

残存度がハンパない!
石塁のダイナミックさと残りのよさは、古代山城のなかでもダントツでNO.1です。
いや、古代山城どころか、戦国時代~江戸時代の城を含めても全国トップクラスです。
(「<対馬探訪2023> プロローグ2/4 金田城の5つの魅力【前編】」https://www.4693shirogumi.com/blog/detail/id=118より)

萩原さんが着目する、金田城の高い技術力が分かる魅惑のポイントはまだまだあります。

たとえば、「城戸=城門」。城戸は文字通りお城の出入り口のことで、金田城では谷間を塞ぐように石を積んで造られており、その迫力に圧倒されます。それだけでもすごいのに、底のほうには「排水溝」もきちんとあるそうです!

金田城

谷を塞ぐという発想がもう、なんか近世の城にはなくてすごいですよね。
こちらにも水門(排水溝)がしっかり残っています。
(「<対馬探訪2023> プロローグ2/4 金田城の5つの魅力【前編】」https://www.4693shirogumi.com/blog/detail/id=118より)

飛鳥時代から明治時代へ。山頂付近で異なる時代にいきなり突入!

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古代山城を歩いていたはずが、山頂付近に近づくと、突如として明治時代にワープします。
なんと、金田城は日露戦争時に山頂付近だけが改変され「城山砲台」として再利用されるのです!
(「<対馬探訪2023> プロローグ3/4 金田城の5つの魅力【後編】」https://www.4693shirogumi.com/blog/detail/id=119より)

金田城が築かれたのは飛鳥時代ですが、実は、山頂付近は砲台として使用するため、明治時代に改修されているのです。1200年の時を飛び越えて2つの時代が併存するのも金田城のミステリアスな魅力を一層高めています。ブログでは、明治時代に陸軍が造った歩きやすい「軍道」を軽やかに歩かれる萩原さんの姿も見られます。

いかがでしたか?
もう今すぐにも金田城に行ってみたくなりましたよね。距離に二の足を踏むのは、あまりにもったいない! ぜひ金田城の地を実際に踏んで、歴史を金田城を五感で楽しんでください。

ディープな対馬探訪を城組のSNSで発信!

なお、今回ご紹介した金田城のレポートはプロローグ! 「ディープな対馬探訪」について、今後城組のSNSで発信予定です。その中身は…「戦国時代の対馬の石垣~朝鮮出兵で豊臣秀吉が築いた城をめぐる」、「江戸時代の対馬の石垣~対馬藩・宗氏の城と城下町をたどる」、「対馬の石垣のルーツを探して~石屋根倉庫や藻小屋、石垣囲み屋敷の集落へ」、「明治~昭和時代の対馬の石垣~マニアじゃなくても垂涎!対馬は砲台の宝庫」、「スイーツから教わる対馬藩~石丁場で出会った、目からウロコの裏話」、鎌倉時代の対馬についてなど、気になるテーマばかりです! その土地まるごとの歴史や風土も味わってこそ、お城旅はさらに魅力的なものになりますね!

▼今後どんなディープな旅が展開されるのか? 詳細はこちらをチェック!
「<対馬探訪2023> プロローグ4/4 お届け!城組コンビのディープな旅(https://www.4693shirogumi.com/blog/detail/id=120)」
 

【金田城へのアクセス】
対馬空港から車で約20分、または、厳原空港から車で約30分で登城口

本記事は城組のブログをもとに、城びと編集部が執筆しました。
引用箇所/城組 画像提供/城組 協力/対馬観光物産協会

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