家康を支えた徳川家臣団の城 家康を支えた徳川家臣団の城 第8回 牧野城

武田信玄死後、武田軍を率いることになった勝頼は、父信玄の遺志を継ぎ、遠江侵攻を続け、その拠点として、天正元年(1573)、大井川西岸に諏訪原城(島田市菊川)を築いた。武田の軍神諏訪大明神を城内に勧請したことからその名がある。

ところが、同3年(1575)5月21日の長篠・設楽原の戦いで、勝頼が織田・徳川連合軍に大敗を喫したことにより形勢は逆転し、家康が武田に取られた城を奪回する動きに出た。早くも、その年6月24日には光明城(浜松市天竜区山東)を落とし、8月24日には諏訪原城も落としている。

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