家康を支えた徳川家臣団の城 家康を支えた徳川家臣団の城 第7回 岡崎城

西三河の旗頭石川数正が城代に
いうまでもなく岡崎城(愛知県岡崎市)は、徳川家康が本拠を遠江の浜松城(静岡県浜松市)に移すまで、松平・徳川氏の本城であった。しかし、家康が本拠を岡崎城としていた段階でも、石川氏との関係が深かったのである。

家康は、永禄6年(1563)から翌年にかけて三河一向一揆を平定し、三河一国を領国とすることに成功すると、三河国を西三河と東三河の二つに分け、西三河の中心を岡崎城とし、東三河の中心を吉田城(愛知県豊橋市)とした。このとき、西三河の国衆および譜代部将を指揮する旗頭として石川家成を指名し、東三河の旗頭として酒井忠次を指名し、この二人を「両家老」とよんだ。

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