家康を支えた徳川家臣団の城 家康を支えた徳川家臣団の城 第6回 吉田城

家康の重臣筆頭酒井忠次
酒井忠次は大永7年(1527)、酒井忠善の子として生まれている。祖父忠親の遺跡を継ぎ、通称の左衛門尉の名で知られ、家康より15歳年長で、しかも忠次の妻は家康の父松平広忠の異母妹で叔母にあたり、一族の重鎮といってもよい関係だった。

家康が永禄3年(1560)5月19日の桶狭間の戦い後、今川氏から離れ、三河で独立する動きをすることになったとき、その主な戦いには忠次が大きな役割を果たしていた。

永禄6年(1563)から翌年にかけての三河一向一揆を平定した家康が、西三河から東三河に勢力を伸ばす戦いでも忠次の働きが大きかった。

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