2023/05/10
家康を支えた徳川家臣団の城 家康を支えた徳川家臣団の城 第2回 長篠城
NHK大河ドラマ『どうする家康』の主人公・徳川家康が、三河国の領主から天下人へと駆け上がっていった陰には、優秀な家臣団の存在がありました。そんな家臣団にまつわるお城にスポットライトを当てる、小和田哲男先生の連載講座「家康を支えた徳川家臣団の城」。第2回は、長篠・設楽原の戦いの発端にもなった長篠城(愛知県新城市)です。家康に仕えた奥三河の国衆・奥平定能と信昌の親子が、武田軍の攻撃からどのように長篠城を死守したのか、織田・徳川連合軍の動きとともに見ていきましょう。
長篠城を守る奥平定能・信昌
天正3年(1575)5月21日の長篠(ながしの)・設楽原(したらがはら)の戦いは、徳川家康の家臣奥平信昌の守る長篠城(愛知県新城市長篠)を武田勝頼が攻めたことによってはじまった。
桶狭間の戦い後、今川氏勢力の衰退により、奥三河とよばれる地域は、徳川家康の東進と武田信玄の南進の二つの波のせめぎあいにより、この地の在地領主の「山家三方衆(やまがさんぽうしゅう)」、すなわち作手(つくで)の奥平氏、田峯(だみね)の菅沼氏、長篠の菅沼氏は、あるときは家康につき、あるときは信玄につくなどして生き残りをかけ、あっちにつき、こっちにつきということをくり返していた。

鳶ヶ巣山砦から長篠城を望む
その後、作手の奥平氏は定能(さだよし)と子の信昌のとき、城を長篠城に移し、はじめ信玄に従い、やがて家康に従っている。信玄死後、家督を継いだ勝頼はそうした奥平氏の離反に対する報復として、天正3年(1575)5月11日、1万5000といわれる大軍で長篠城の包囲をはじめている。軍勢の数についてはその半分以下ともいわれているが、いずれにせよ、家康の一家臣にすぎない奥平信昌としては、自分一人で守りぬくことは考えられず、すぐ後詰の援軍派遣を浜松城(静岡県浜松市中区元城町)の家康に要請している。
ただ、家康も、勝頼が大軍で長篠城を包囲していると聞き、自分の軍勢だけで救援は難しいと判断し、すぐ同盟者である織田信長に援軍を要請した。
実は、前年も同じような事態がおこっており、そのときは、信長の援軍出動が遅れたため、武田勝頼に包囲された遠江の高天神城(静岡県掛川市上土方)が落とされていたので、信長としては、その二の舞は避けたいとの思いから3万の兵を率いて三河の岡崎城(愛知県岡崎市康生町)に向かっている。この数も本当は半分くらいではないかといわれているが、信長としても家康との同盟関係を維持するために出陣したのである。5月15日、岡崎城で信長・家康の軍評定が開かれ、18日には長篠城の西、連吾川沿いに布陣を完了している。注目されるのは、その連吾川沿いに信長は馬防柵を設けていることである。武田軍の突撃をその馬防柵で防ぎ、鉄砲で武田軍を撃破する作戦であった。
付城鳶ヶ巣山砦奇襲作戦

鳶ヶ巣山砦全景
しかし、それだけでは武田軍がそこに突入してくるかはわからない。そこで考えついたのが鳶ヶ巣山(とびがすやま)砦(愛知県新城市栗本)奇襲作戦だった。この鳶ヶ巣山砦というのは、武田方が長篠城を攻めるために築いた長篠城包囲の付城(つけじろ)の一つである。そこを攻めて、付城鳶ヶ巣山砦を守っていた城兵を前に押し出し、信長・家康が待ち受ける設楽原におびき出そうというものだった。そのため、織田・徳川連合軍と武田軍との激闘は長篠城付近においてではなく、設楽原の方であった。わざわざ長篠・設楽原の戦いというのはそのためである。
なお、この鳶ヶ巣山奇襲作戦を進言したのは家康の家臣酒井忠次だった。長篠城を守る奥平信昌が武田軍の猛攻にもかかわらず、5月20日まで10日間近く城を死守したことが、織田徳川連合軍側の勝利をよびこんだことになる。
では、奥平信昌ががんばれたのはどうしてなのだろうか。このあたりのいきさつをみていく上で注目される史料がある。家康から長篠城の奥平定能・信昌父子に与えた元亀4年(天正元・1573)8月20日付の起請文(「譜牒餘録」『徳川家康文書の研究』上巻)である。その第一条目に、家康が自分の長女の亀姫を信昌に嫁がせると約束しているのである。家康としては、何とか武田氏の勢力を長篠城のあたりで食い止めたいと考えており、城を守る奥平信昌に自分の娘を嫁がせる約束をしていたことがわかる。信昌にしてみれば、この政略結婚の申し出を実現させるためには、長篠城を死守するしかないと考え、必死になって守りぬいたものと思われる。

設楽原古戦場
そして、この奥平信昌のがんばりが、設楽原での織田・徳川連合軍勝利をもたらすことになる。どうしても、長篠・設楽原の戦いというと、3000挺の信長鉄砲隊が勝因とされるが、意外と、この信昌の長篠城籠城戦も忘れることはできない。約束通り、家康は戦いの翌年、天正4年(1576)に亀姫を信昌に嫁がせている。
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執筆/小和田哲男(おわだてつお)
公益財団法人日本城郭協会 理事長
日本中世史、特に戦国時代史研究の第一人者として知られる。1944年生。静岡市出身。1972年、早稲田大学大学院文学研究科 博士課程修了。静岡大学教育学部専任講師、教授などを経て、同大学名誉教授。
著書 『戦国武将の手紙を読む 浮かびあがる人間模様』(中央公論新社、2010)
『明智光秀・秀満』(ミネルヴァ書房、2019)ほか多数
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