大人も学べる 理文先生のお城がっこう 大人も「お城がっこう」|歴史編 第48回 織田信長の居城(家臣の城)

天正元年(1573)、室町第15代将軍足利義昭を追放した頃から、織田信長は家臣が城を築く時に、様々な命令を発するようになりました。なぜ信長は、家臣の築城に際して、その場所や城の形に至るまで、いろいろな命令を出したのでしょうか。こうした命令も、天下統一のシンボルである安土築城を目指した一連の動きと考えることもできないわけではありませんが、それだけではない理由があったとも考えられます。今回は、家臣の城について、信長はどのような命令を出し、どうしようとしていたのかについて考えてみたいと思います。

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