大人も学べる 理文先生のお城がっこう 大人も「お城がっこう」| 歴史編 第37回 九州の城3(島津氏と館造りの城)

元暦2年(1185)、島津氏は源頼朝から我が国最大の荘園である島津荘の地頭職に任命されました。その時、島津忠久はわずか6歳でした。島津荘は、元は近衛(このえ)家の荘園で、日向国(現在の宮崎県です)の中南部から大隅国・薩摩国(現在の鹿児島県です)の3カ国にまたがっていました。忠久は、その後、薩摩・大隅・日向の守護職だけでなく、越前(現在の福井県です)の守護も追加されています。

島津氏は、幕府の有力な御家人でしたので、当主は鎌倉に住んで将軍家に仕え、荘園には一族や家来を派遣して、地方のことをまかせていました。

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