室町時代の守護大名のほとんどは、任地(幕府から支配をまかせられた土地)へ行くことはまれで、常日頃は都で生活し、地元に住む有力者に支配をまかせていました。応仁元年(1467)、都を中心に応仁・文明の乱と呼ばれた大きな戦が始まります。
この戦乱は11年間にわたって続き、都は荒れ果ていつ被害(ひがい)にあうのかもわからないようになると、安全な任地へと移り住むようになりました。任地へ住み着いた守護の住まいは「守護所」と呼ばれ、その住まいは、一町四方(約109m四方)の方形館が基本でした。
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