徳川家康は、10年ほどに渡って武田軍と、攻めや守りを繰り広げる戦いを経験しました。そのため、武田氏が滅んだ後、最も武田の城を理解する武将となったのです。併せて、武田家に仕えていた武将たちも数多く召し抱えてもいます。また、同盟者である織田信長に従い、各地の戦いに転戦しています。家康は、武田氏が城の守りを固めるために採用していた技術を巧みに取り込むと共に、織田家の持つ最新の技術を学んで、新しい徳川の城を築き上げて行くことになります。
こちらの記事は会員限定です。
城びと会員登録(無料)をすると
続きをお読みいただけます。