前回は、記録として初めて「天守」が書かれたのはいつなのかを見てみました。それらを見ると、我が国で確実に「天主」と呼ばれた建物は、織田政権によって永禄12年(1569)~元亀年間(1570~73)に築かれていたことと、その城を築いた人物が、織田信長だったことが解りました。今回は、なぜ信長は、今までの城に無かった「天主」を建てようとしたのか、また信長が建てようとした「天主」とはどのような建物だったのかを考えてみましょう。
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