唐入りに際して豊臣秀吉は自ら渡海する意思があったようで、朝鮮半島に渡るために壱岐、対馬に御座所の造営を行っています。そのうち壱岐に築かれたのが勝本城です。文久元年(1861)に編纂された『壱岐名勝図誌』には武末城と記されています。
その築城は朝鮮への出兵の前年、天正19年(1591)9月3日に秀吉より松浦鎮信に命じられています。秀吉は大明国・高麗へ動座するため壱岐国に御座所の造営を鎮信とともに同じく肥前国の大名である有馬晴信、大村喜前、五島純玄に手伝役を命じています。
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