2024/10/02
城をめぐる最新研究|小和田哲男 城をめぐる最新研究 第3回「織田信秀の那古野城奪取は天文元年ではなかった!?」
那古野城奪取時期の今までの定説
織田信長の父信秀が、尾張今川氏の今川氏豊が拠る那古野城(なごやじょう)を奪取したのは天文元年(1532)とされてきた。そのため、信秀はすぐ自分の居城を勝幡城 (しょばたじょう)から那古野城に移し、信長が同3年(1534)に生まれているので、信長は那古野城で生まれたというのが定説だった。
ところが、その後の研究で、信秀による那古野城奪取は天文元年(1532)ではなかったということが明らかになってきたのである。そうなると、信長の生誕地の場所がちがってくるわけで大ごとになってくる。
織田信長の父信秀が、尾張今川氏の今川氏豊が拠る那古野城(なごやじょう)を奪取したのは天文元年(1532)とされてきた。そのため、信秀はすぐ自分の居城を勝幡城 (しょばたじょう)から那古野城に移し、信長が同3年(1534)に生まれているので、信長は那古野城で生まれたというのが定説だった。
ところが、その後の研究で、信秀による那古野城奪取は天文元年(1532)ではなかったということが明らかになってきたのである。そうなると、信長の生誕地の場所がちがってくるわけで大ごとになってくる。