倭城を歩こう(中井均・加藤理文) 倭城の見方編 第6回 倭城の天守を考える 1 |加藤理文

天正4年(1576)、織田信長は、天下統一の拠点とするため安土築城を開始しました。その最高所には、天下布武のシンボルとして五重七階の「天主」が聳え立っていたのです。これが「天守」の嚆矢で、以後織田政権、豊臣政権へと受け継がれ、一城の象徴的な建物として定着していきました。天守は、時の為政者、後に城主の権威を誇示するための象徴となり、見晴らしや防御力、倉庫的機能などの軍事的要素も兼ね備えた建物になったのです。戦国期、幾多の合戦が全国津々浦々で行われています。そうした攻城戦の中で、陣城に天守を構築することは、極めて稀でした。

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