倭城を歩こう(中井均・加藤理文) 倭城の見方編 第3回ー倭城の構造ー|中井均

機能による倭城の相違
文禄慶長役により朝鮮半島南岸には約30カ所に倭城と呼ばれる豊臣秀吉軍の築いた城跡が残されています。石垣によって構えられた倭城は港湾確保や駐留兵の駐屯地として築かれた城郭ですが、規模や構造、立地などから機能の差のあったことがうかがえます。実際に文禄2年(1593)5月20日付の秀吉朱印状には本城と端城と使い分けて記されていることからもわかります。それらはおおよそ次の4つのグループ(Ⅰグループ・Ⅱグループ・Ⅲグループ・Ⅳグループ)に分けることができます。

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