2018/07/19
城に眠る伝説と謎 第5夜 【大坂城】秀頼も信繁も生きていた!?鹿児島生存説の謎に迫る
全国のお城に伝わる伝説や奇譚を取り上げ、歴史をひもとく「城に眠る伝説と謎」。第5夜は、豊臣秀頼と真田信繁(真田幸村)の生存伝説を追います。大坂の陣後に流行ったわらべ唄が2人の生存をほのめかす!?
ゆかりの地に立つ真田信繁(左/大阪府大阪市安居神社)と豊臣秀頼(右/大阪府大阪市玉造稲荷神社)の銅像。果たして、二人は本当に大坂の陣から生きのびていたのだろうか?
秀頼・信繁の生存をほのめかすわらべ唄
「花のようなる秀頼様を 鬼のようなる真田が連れて 退きも退いたり加護島へ」
これは慶長20年(1615)の大坂の陣で豊臣家が滅んだあと、上方などで歌われたわらべ唄の一節だ。唄からは真田信繁(幸村)が豊臣秀頼を連れて鹿児島へ落ちのびた、ということが読み取れる。「え!秀頼も信繁も大坂の陣で亡くなったんじゃないの!?」という声が聞こえてきそうだ。
慶長19年(1614)、豊臣家滅亡を目論む徳川家康は、有名な「方広寺鐘銘事件」で言いがかりを付け、大坂攻めを開始する。大坂冬の陣の始まりである。籠城戦をとった豊臣方だが、信繁が出城「真田丸」を築いたことで防備は完璧。攻めあぐねた家康は大砲で威嚇するなどして講和に持ち込み「大坂城の堀を埋める」という条件を豊臣方に飲ませた。翌年、その大坂城(大阪府)に再び家康が襲いかかる(大坂夏の陣)。堀を埋められた大坂城は丸裸も同然。籠城が不可能になった豊臣方は、城を打って出て徳川方を迎え撃ち、各地で激戦が繰り広げられた。
信繁が徳川軍を迎え撃った真田丸跡と伝わる心眼寺
天王寺・岡山の戦いでは、信繁が少ない手勢で家康の本陣を強襲。家康が自刃を覚悟したと言われるほどのところまで追いつめたというのは有名な話だ。しかし多勢に無勢、信繁はあと一歩のところで力尽き、越前・松平忠直の家臣・西尾仁左衛門に討ち取られた。その日の夕刻には秀頼も、母の淀殿と自刃し大坂城は落城。豊臣家は滅亡となった。ここまでが、私たちが知る歴史である。
鹿児島には秀頼と信繁の墓がある!?
では、上のわらべ唄は一体何なのか?誰がいつ作ったのかは不明である。一種の追悼歌のようなものだったと考えられるが、あながちそうとも言い切れない。実は秀頼・信繁の生存説は古くからささやかれているのだ。
江戸時代に書かれた上田秋成(うえだあきなり)の随筆『胆大小心録(たんだいしょうしんろく)』には「嶋津より城内へ兵粮五百石を入んといふ。神君ゆるして入さしむ。米を納めて歩卒等かへる。此中に秀より・眞田・後藤・木村もつれてしのびやかに出たりとぞ」とある。島津の軍勢が秀頼・信繁らを救出したというのだ。これを裏付けるものはないが、上のわらべ唄といい、庶民の間で語り草になっていたのだろう。
鹿児島県には、秀頼と信繁のものと伝わる墓が存在する。信繁のものとされる墓所は、秀頼と別れた後に暮らしていたとされる南九州市の雪丸という地区にあり、これは信繁の別名である「幸村」をもじった名前だと地元では伝えられているのだ。この雪丸地区で信繁は土地の百姓娘との間に子どもを設け、その子孫が幕末になって真江田姓を名乗ったという伝承もある。また、信繁は島津氏が江戸幕府に恭順すると、娘の嫁ぎ先を頼って秋田に逃げ、その地で75歳まで暮らしたともいわれている。同地の一心院には信繁と嫡男・大助のものだという墓が残されている。
伝秀頼の墓とされる墓石は鹿児島市谷山に存在している。秀頼は、谷山を治める領主にかくまわれ、常に酔っ払っていたことから「谷山の酔喰(えいぐら)」と呼ばれていたのだとか。また、嫡男の国松とともに縁戚である木下氏を頼り、大分で没したという説も存在する。
信繁の墓と伝わる墓石は雪丸地区の林にひっそりとたたずんでいる(南九州市提供)
大阪城公園の南、宰相山公園にある三光神社には「真田の抜け穴」なるものが存在する。大坂の陣の際に信繁が作ったとも、攻め手である徳川方が作ったともいわれており、はっきりしたことはわかっていない。だが、この抜け穴を通って信繁が秀頼を連れて大坂城を脱出したのではないか、という話もまことしやかに伝えられているのだ。
三光神社に残る抜け穴跡。穴の入口は封鎖されているため、どこにつながっているか確かめることはできない
いずれも信ぴょう性については疑問符がつく。信繁の墓といわれるものは、鹿児島・秋田だけではなく大坂や長崎など全国各地に存在する。しかし、思えば源義経や西郷隆盛など、非業の死を遂げた歴史上のヒーローには、この手の生存説は付き物。秀頼や信繁に生きていてほしかった当時の庶民の思いが、わらべ唄や各地にみられる伝説として表れたのかもしれない。
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執筆/松本壮平
ライター・編集者。1972年、大分県中津市生まれ。慶應義塾大学文学部史学科日本史学専攻卒業。歴史、グルメほか多ジャンルで執筆。『食楽web』(徳間書店)にてからあげ食べ歩きコラム「から活日記」連載中。
写真提供/かみゆ歴史編集部
※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています