大人も学べる 理文先生のお城がっこう 大人も「お城がっこう」|歴史編 第8回 前九年合戦、後三年合戦に使われた城

陸奥胆沢鎮守府の在庁官人・安倍頼良は、奥六郡に城柵を構えて、自分が直接支配するようになりました。安倍頼良は、朝廷への貢租もさぼり、好き勝手に治めるようになったのです。そこで、永承6年(1051)に、陸奥守藤原登任が、安倍氏に罰を与え、凝らしめようと鬼切部を戦場として戦いましたが失敗してしまいます。前と同じように、言うことを聞くようにさせたい朝廷は、河内源氏の源頼義を新しい陸奥守とし、さらに鎮守府将軍の役職も与えて、東北地方をしっかり治めるように命令しました。翌年、後冷泉天皇の大赦により、頼良の罪が許されました。

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