超入門! お城セミナー 超入門! お城セミナー 第3回 | 【歴史】天守っていつからあるの?

革命児・織田信長が造りはじめた天守

前回、天守が建てられた近世城郭は、実は圧倒的少数派だというお話をしました。つまり、「城=天守」ではないということ。でもでも、やっぱり城といえば、まずカッコイイ天守が思い浮かぶ人は多いはず! ということで、今回は城のシンボル「天守」のお話です。

よく「天守閣」と呼ばれますが、これは江戸時代後期から庶民の間で呼ばれたニックネームのようなもの。天守が楼閣建築の流れだからともいわれますが、歴史的には「天守」と呼ぶのが正解です。それでは、天守の誕生と普及、そして衰退について見ていきましょう。

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信長が築いた安土城。天主は6層7階で八角形の望楼を持つ、壮麗なものであった(イラスト=香川元太郎)

時は天正7年(1579)、ところは現在の滋賀県・近江の国の琵琶湖のほとり。ここに織田信長が、天下統一の拠点とすべく安土城(近江八幡市)を築きました。石垣に囲まれたこの城の最高所には、その権力を誇示するような、巨大で絢爛豪華な高層建築がそびえ立っていました。そう、これが天守第1号だといわれています。「天守」という言葉も信長の命名で、はじめは「天主」と書かれていましたが、秀吉以降は「天守」に落ち着きました。

全国に建てられた天守はどこへ行ったのか

安土城以降、織田家の重臣たちは、天守を備えた石づくりの近世城郭を築くようになります。豊臣秀吉が天下を統一すると、各地の大名は権力のシンボルである天守に憧れて、これを自らの領地にこぞって築くようになり、天守は全国津々浦々に普及しました。江戸時代がはじまる頃には、全国に数百もの天守が建っていたそうですから、当時の日本の景観は今とはかなり違ったはずです。

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慶長年間に築かれた犬山城(愛知県犬山市)の天守は現存する中で最も古い天守とされているが、近年は丸岡城(福井県坂井市)が最古ともいわれている

しかし、徳川幕府が発布した「一国一城令」により、領内に城は居城一つだけと制限され、新築は禁止。修理さえも許可制となり、この時期に数千もの城が消滅してしまいます。その後、明治時代の「廃城令」で100以上の城が破壊され、さらに昭和の太平洋戦争の空襲で7基の天守が焼失。ついに現在まで残る天守は12基のみとなってしまいました。鉄筋コンクリート造りなどで再建された天守もたくさんありますが、「現存天守」といわれる12の天守は、激動の歴史を乗り越えてなおそこに建ち続けている、とても貴重な存在なのです。

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名古屋城(愛知県名古屋市)の天守は戦前国宝に指定されていたが、空襲によって焼失した。現在城内に立つ天守は戦後に復元されたものである


執筆・写真/かみゆ歴史編集部
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。手がける主なジャンルは日本史、世界史、美術史、宗教・神話、観光ガイドなど歴史全般。主な城関連の編集制作物に『日本の山城100名城』『超入門「山城」の見方・歩き方』(ともに洋泉社)、『よくわかる日本の城 日本城郭検定公式参考書』『完全詳解 山城ガイド』(ともに学研プラス)、『戦国最強の城』(プレジデント社)、『カラー図解 城の攻め方・つくり方』(宝島社)、「廃城をゆく」シリーズ(イカロス出版)など。

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