ナワバリスト西股さんと行く! ビギナー女子の山城歩き ビギナー女子の山城歩きSTEP1【山中城の壱】山城で鉄砲と土塁の関係を学ぶの巻

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右から二川智南美、中村蒐[あかね](ともにかみゆ歴史編集部)、案内人の西股総生先生

一見、ただの山と木しか見えないけど、山城って何が面白いの? どこに注目すればいいの? そんな迷えるお城ビギナーのために、実際に山城を歩きながら山城を学ぼう!というこのコーナー。水先案内人は城郭・戦国史研究家で、大河ドラマ『真田丸』で戦国軍事考証を担当した〝ナワバリスト〟西股総生先生。第1回目は整備が進み、大きな戦いの舞台にもなった山中城(静岡県三島市)。城ファンには人気が高い山中城で、どんな驚きが待っているでしょうか。

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 山中城イラスト(三島市教育委員会提供/数字はこの回で行ったところ)

秀吉も通った!?石畳歩いて、山中城へイザ!

二川智南美:以下二川)
「歴史や山城関連の本づくりに関わっており、プライベートでも全国の史跡巡りをしています。山中城には前から行ってみたいなと思っていたので、今日は楽しみです!」

(中村蒐:以下中村)
「山城はほとんど行ったことないのですが、『インスタ映えする山城』と聞いてテンションあがってます。よろしくお願いします!」

(西股総生:以下西股)
「こちらこそ今日はよろしくお願いします。さて、さっそくなんだけど、山城の登城前に確認した方がいいことがあります。何かわかりますか?」

(二川)
「えっ、なんでしょう。お弁当やカイロは持ってるし……」

(西股)
「あはは、それも大事だけど、帰りのバスの時間を確認しておくといいですよ。山城によっては、1日にバスが数本しかないところもありますから」

(中村)
「スマホで撮っておきました!」

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 公共交通機関で訪れた際は、時刻表にあわせてプランを組み立てよう。車で行く場合は駐車場の有無の確認も忘れずに

——駐車場・バス停から南側にある岱崎出丸(だいざきでまる)へ向かう一行。岱崎出丸の入り口の脇には、石畳の道が通っている。

(西股)
「山中城は旧東海道沿いにつくられた城で、西から小田原方面へ行くには必ずここを通らなければなりませんでした」

(二川)
「守るには絶好の立地だったわけですね」

(西股)
「そんな重要な場所にあるこの山中城では、歴史的に大事な合戦があったんだけど、何のための戦いかわかるかな?」

(中村)
「えーっと、確か豊臣秀吉が攻めてきたんですよね。戦ったのは、武田?徳川でしたっけ……?」

(西股)
「うーん、聞いてはいたけど、中村さんは歴史が苦手なんだねぇ。。。当時、関東を支配していたのは北条氏です。その北条氏の支城が、この山中城。自分に臣従しない北条氏に対して、秀吉は大軍で関東を攻めます」

(二川)
「そして最初の激戦地となったのが、この山中城なんですよね」

(西股)
「その通り。小田原城へ向かうため、まずはこの城を落とす必要がありました。この石畳の道①が三島街道、のちの東海道です。石畳は後の時代に敷かれたものだけど、秀吉もここを通ったんですよ」 

(二川・中村)
「ええ〜! あの秀吉が!」

(西股)
「山城を訪れたら、周辺の街道をチェックしてみましょう。城は交通の要衝に築かれており、街道を見張ったり、街道沿いにやってくる敵兵を迎え撃つ役割もあったのです」

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 旧東海道を歩きながら西股先生の解説を聞く。中村「街道の右側がもう城なんだぁ。こわーい」

土塁は鉄砲を撃つのにぴったりの高さだった!

——岱崎出丸に登ると、なだらかな地形が続く。ここは侵攻する豊臣軍に対抗するために急いでつくられた曲輪。つまり、戦うためだけにつくられた要塞なのだ。

(中村)
「なんか、歩きづらくないですか?」

(二川)
「曲輪の中なのに、地面が傾いているんですね」

(西股)
「住むなら平らにする必要があるけれど、堀や土塁を築くのが防御施設としては最優先だからね。ここだけ見ても、岱崎出丸が急造された迎撃のための曲輪であることがわかる」

(中村)
「わっ、めっちゃ深い堀!② これは落っこちたら一環の終わりだぁ……」

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 岱崎出丸の真ん中にある堀切。幅2m、高さ9mもある。堀切とは尾根を分断するように掘って、こちら側へ渡れなくする山城の基本アイテム

(西股)
「ここの土塁は、今は背丈くらいの高さがありますが、当時はもう少し低くつくられていました」

(二川)
「どうしてですか? 敵の侵入を防ぐなら、土塁も高い方がいいですよね」

(西股)
「ふふふ……それを知るために今回は秘密兵器を持ってきましたよ。じゃじゃーん、火縄銃!もちろんレプリカですけど」

(中村)
「わあ! 何かでてきた!(笑)」

(西股)
「当時は火縄銃なので、一発撃ったらそのたびに、銃身を立てて玉を込める動作が必要になります。その動作の間、敵に狙われないよう、隠れるためにつくられたのがこの土塁なんです」

(二川)
「なるほど、低すぎると隠れられないけれど、高すぎると撃つのが大変になってしまうんですね」

(西股)
「じゃあ中村さん、練習してみましょうかー」

(中村)
「イエッサー!!!」

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身をかがめて銃に弾を込める。当時の平均身長は中村と同じ約150cmなので、このくらいの高さで十分身を隠せた

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堀切の向こうにミナミコアリクイが現れた!

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土塁の高さは鉄炮を構えるのにぴったり。見事、ミナミコアリクイを撃ち倒したの図


西股先生のワンポイント講座

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<小田原攻めと山中城の攻防>
豊臣秀吉の天下統一の総仕上げとして、北条氏を攻めた「小田原攻め」。この火ぶたを切ったのが山中城の戦いだが、大軍の前にわずか半日で山中城は落城した。しかし、抵抗は凄まじかったようで、豊臣方の死者も多く出た。山中城攻めの際、岱崎出丸の攻略を担当した中村一氏軍の中にいた渡辺官兵衛という人物が、江戸時代になって山中城での攻防と自分の武功を『渡辺水庵覚書』にまとめている。


「ここ攻めろっていわれたら戦死する自信あります!」


——岱崎出丸の西側は見晴らしがよく、富士山や三島市街、駿河湾が一望できる。

(中村)
「おー、富士山が目の前に! 駿河湾も見えるんですね」

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岱崎出丸から南西方角を見ると、三島市街や駿河湾が広がっている

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寒さに負けず、そびえ立つ富士山をパシャリ

(西股)
「三島方面に陣を張っていた豊臣軍や、山中城へ攻めてくる行軍の様子がよく見えたと思います。そして岱崎出丸の西側の下に見えるのが…」

(二川)
「これがあぜがある堀、障子堀(しょうじぼり)ですね!③ きれいだなぁ」

(西股)
「『一ノ堀』と呼ばれるこの障子堀の下には旧東海道が走っていて、そこからの侵入を防ぐものです。ここでも土塁で身を隠しつつ、鉄砲で攻撃しました」

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岱崎出丸から一ノ堀をのぞき見る

——攻め手側の目線に立とうと、一ノ堀まで降りて岱崎出丸を見上げる。

(二川)
「下から見ると、曲輪の斜面は急だし、堀も深い! 私、ここ攻めろっていわれたら、戦死する自信あります」

(西股)
「障子堀はこれでも当時より埋まっていて、かつては中村さんの身長くらいあったんじゃないかな。あぜの上部も、今は平らになっているけれど、当時はもっと狭くつくられていました」

(中村)
「これつくった人はスッゴイ!あぜから足をすべらして落ちたら、もう登れないわけですねぇ」

(二川)
「障子堀を渡っている時も、それを越えてあの急な斜面を登る最中も、上から絶えず鉄砲や槍で攻撃されるんですよね。うーん、とても守りが堅いから、遺構だけ見ると落城しそうにありません」

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一ノ堀を越えて岱崎出丸へ登ろう……なんて無理!

(中村)
「でも実際は落ちちゃったんですよね。豊臣軍はどのぐらいの兵力で攻めてきたんですか?」

(西股)
「約7万。戦闘に参加したのは、その半分くらいかなぁ。対して山中城の守備兵は約4000でした」

(中村)
「えっ!? 10分の1程度じゃないっすか! 数の暴力には勝てないんですね……」

(西股)
「そうだね。しかも、この一ノ堀でみんなが激戦をしていた間に、もう少し上の方から1人で敵陣の山中城に入りこんじゃった渡辺官兵衛って人がいるんだよ」

(中村)
「今も昔も、悪目立ちしたがる人っているんだぁ」

(西股)
「その人は岱崎出丸を抜けて、本丸の方まで行っているから、あとでまた話に出てきます。名前だけ覚えておいてください」

(二川)
「さて、私も中村さんもたくさん戦ったことだし、このあたりで昼食でも食べましょう」

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すっかり城と鉄砲の関係に惹かれた中村。土塁を見つけては構えてみる

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お昼は岱崎出丸にある東屋にて。いただきます!

——昼食を済ませた一行は、続けて西ノ丸方面を目指すことに。次回のレポートは1月上旬の更新です。

※掲載している写真は、三島市教育委員会の許可を得て撮影したものです。
一般の方の立ち入りが禁止されているエリアもございますため、訪問の際はご注意ください。


西股総生(にしまた・ふさお)
1961年、北海道生まれ。城郭・戦国史研究家。学生時代に縄張のおもしろさに魅了され、城郭研究の道を歩む。武蔵文化財研究所などを経て、フリーライターに。執筆業を中心に、講演やトークもこなす。軍事学的視点による城や合戦の鋭い分析が持ち味。主な著書に『戦う日本の城最新講座』『「城取り」の軍事学』『土の城指南』(ともに学研プラス)、『図解 戦国の城がいちばんよくわかる本』『首都圏発 戦国の城の歩き方』(KKベストセラーズ)、『杉山城の時代』(角川選書)など。その他、城郭・戦国史関係の研究論文・調査報告書・雑誌記事・共著など多数。

執筆・写真/かみゆ歴史編集部(滝沢弘康・二川智南美)
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。手がける主なジャンルは日本史、世界史、美術史、宗教・神話、観光ガイドなど歴史全般。主な城関連の編集制作物に『日本の山城100名城』『超入門「山城」の見方・歩き方』(ともに洋泉社)、『よくわかる日本の城 日本城郭検定公式参考書』『完全詳解 山城ガイド』(ともに学研プラス)、『戦国最強の城』(プレジデント社)、『カラー図解 城の攻め方・つくり方』(宝島社)、「廃城をゆく」シリーズ(イカロス出版)など。

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