ナワバリスト西股さんと行く! ビギナー女子の山城歩き ビギナー女子の山城歩きSTEP1【山中城の参】この地で散った武将に思いを馳せてみたの巻

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富士山が望める障子堀。この景色の中で、さまざまなドラマがくり広げられた

一見、ただの山と木しか見えないけど、山城って何が面白いの? どこに注目すればいいの? そんな迷えるお城ビギナーのために、実際に山城を歩きながら山城を学ぼう!というこのコーナー。水先案内人は城郭・戦国史研究家で、大河ドラマ『真田丸』で戦国軍事考証を担当した〝ナワバリスト〟西股総生先生。第1回目は整備が進み、大きな戦いの舞台にもなった山中城(静岡県三島市)。

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 山中城イラスト(三島市教育委員会提供/数字はこの回で行ったところ)

武将に思いを馳せると一変した、北条丸からの景色

——いよいよ城の中心である本丸へと向かう。西ノ丸から本丸の間には、元西櫓、北条丸と曲輪が続く。北条丸は、本丸・西ノ丸・岱崎出丸(だいざきでまる)の各方面を見渡せる位置にあった曲輪で、豊臣軍が攻めてきた時は、ここに北条氏勝が陣取っていたと考えられる。

(中村蒐:以下中村)
「ここからの景色、気持ちいいー! 」

(二川智南美:以下二川)
「中村さん、いつの間に北条丸の櫓台⑨に!」

(中村)
「あっ、スナイパーになった気分で見下ろすと、ここから橋を渡ってくる二川さんを狙うのにちょうどいいかも」

(西股総生:以下西股)
「この櫓台は、まさに北条丸の守りのポイント。元西櫓⑩から渡ってくる敵と、池の方から登ってくる道の合流地点にあるので、どちらから来た敵もここで上から叩くことができるんです」

(中村)
「まとめてやっつけるのがコツなんですね!」

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北条丸の櫓台から見た元西櫓や西ノ丸は、芸術的な造形が美しい

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奥の元西櫓から手前の北条丸へ渡ろうとする敵を櫓台から仕留めることができる

(西股)
「この曲輪にはもう一つ櫓台⑪があります。ここを登ると…なかなかいい景色でしょう。ここから南側正面に見える丘、あそこが何かわかりますか?」

(中村)
「もしかして、岱崎出丸ですか!?」

(西股)
「そうです。ここは『北条丸』とか『北条山』と呼ばれているので、豊臣軍が攻めてきた時、北条氏勝がいたのはこの曲輪だったと僕は思ってます。岱崎出丸は配下の間宮康俊という武将が守っていたんだけど、間宮隊がやられていく様子とか、ここから見えていたんじゃないかな」

(中村・二川)
「ああああ!」
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櫓台からは、岱崎出丸の全景をはっきりと見渡せる
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⑪の櫓台。ここから北条氏勝が兵に指示を出していた?

(西股)
「氏勝は当時30歳くらいと若かった。部下を助けたくてうずうずしたでしょうね。これは僕の想像だけど、本丸にいたであろうベテランの城将・松田康長の方を振り返ると、康長は手で×印をつくってる。“まだ出撃するには早い”ってね」

(中村・二川)
「(笑)」

(西股)
「そうこうしているうちに、岱崎出丸の敵は三ノ丸に侵入してきて、西ノ丸も突破されます。康長は落城直前に氏勝を逃がすんですが、きっとその時も堀を挟んで、『お逃げください!』『最後まで戦う!』と、いやがる氏勝を説き伏せたんじゃないかな」

(中村)
「妄想がはかどりますね〜」

(二川)
「武将達がここにいたかも、こんなやりとりをしていたかもって考えながら歩くと、楽しさが全然違いますね」

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氏勝と康長のあったかもしれないやりとりを話す西股先生。現地に立ってみることで、イマジネーションがふくらむ。

西股先生のワンポイント講座
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<松田康長の苦渋の決断>
もともと山中城を守っていたのは、北条氏の家臣・松田康長。そこに、豊臣秀吉との開戦に備えて、近くにある玉縄城の城主だった北条氏勝が増援として送り込まれた。氏勝は北条氏の一族だったから、康長は氏勝を立てつつ戦いに臨んだし、落城しそうになると氏勝を城の外へと逃がした。家臣としては当然の行動だろう。しかし、氏勝の逃亡に動揺して逃げだす城兵が出て、城の守備態勢は崩れてしまう。氏勝を助けたために、山中城が落城する結果となってしまった。

松田康長が散った本丸へ

——いよいよ一行は、城の中心部である本丸にたどり着いた。ここは城将・松田康長が討ち取られた場所であり、渡辺勘兵衛も足を踏み入れたという記述を残している。

(西股)
「僕たちは北条丸から渡ってきたけど、下から直接本丸⑫に上がってきたのが渡辺勘兵衛です」

(二川)
「勘兵衛さん、大手門を突破してここまで来られたんですね!」

(西股)
「彼は途中道に迷ってて、木に登って見回して鉄砲をばんばん撃ってる場所を見つけて“向こうが本丸だ!”ってわかったらしい」

(中村)
「なにそれ、おもしろい(笑)」

(西股)
「そして本丸に突入したあと、勘兵衛は『敵の大将討ち取ったりー!』という声を聞いたと記録に残しています。松田康長のことです。本丸の北側に櫓台がありますが、ここで康長は斬られました」

(二川)「ああ…松田さん…」

(中村)
「松田さんはここでやられちゃったんですね…。ちなみにこの櫓台、そんな大きな建物が建っていたようには見えないですけど」

(西股)
「詳しくはわからないけれど、簡易な櫓は建っていたんじゃないかな。背後は堀になっていて、敵味方が取っ組み合ってゴロゴロと転げ落ちていった、と勘兵衛は書いています」

(中村)「めっちゃリアル…。本当にここで戦いが起こってたんですね」

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本丸の櫓台。「天守台」とも呼ばれているが、実際に天守が建っていたわけではない

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本丸。整備されて平らになっているが、ここもかつては地面が傾斜していたという

(西股)
「本丸の裏手が北ノ丸⑬です。ここから外側の堀を覗いてみてください」

(中村)
「わあ、すごく深い!」

(二川)
「これはとても登れないですね」

(西股)
「山中城の中で、空堀として一番迫力あるのはここだと思います。ちなみに、堀の向こう側に小さな丘があるんですが、勘兵衛はそこで一夜を過ごしたといいます」

(二川)
「まだ伏兵がいるかもしれない中、こんな目の前で一夜を明かすのは、ちょっとこわいですね」

(中村)
「勘兵衛さんは、この巨大な堀をどうやって渡ったんだろう…?」

(二川)
「わからないけど、彼ならどんな堀も乗り越えられる気がする」

(中村)
「確かに(笑)」

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北ノ丸の裏にある巨大空堀。写真では伝わりにくいが、10mほどの深さと大きさである

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三ノ丸跡にある宗閑寺には、松田康長の墓がある

(二川)
「これにて山中城歩きは終了〜! 中村さん、はじめての山城はどうだった?」

(中村)
「最初、建物が何もなくて楽しいのかな〜って不安だったんですけど…ワッフル型の堀とかおもしろいものが残っているし、景色いいし、歩きやすいし、山城のイメージがかなり変わりました!」

(西股)
「楽しんでもらえて何より。山中城は整備が行き届いた見やすい城なので、ビギナーにはおすすめですね」

(二川)
「トイレや自販機があるのもすごい助かりました」

(中村)
「靴もスニーカーで大丈夫でしたね。風は寒かったけど…!」

(二川)
「冬はカイロがあった方がよさそうだね。もう少しあたたかくなったら、ピクニック気分で来れそう」

(中村)
「もっと他の山城も行ってみたくなりました」

(西股)
「実は駅近物件の山城もあるんだよねぇ」

(中村)
「えっ!? 駅近で山って矛盾してません!? 気になる!」

(西股)
「じゃあ次回の山城はそこに決まりですね」

——西股先生のいう「駅近物件の山城」とは果たして…!? 次回をお楽しみに。


[城名]山中城(静岡県三島市)
[アクセス]JR三島駅から東海バス・元箱根港行きで約30分、「山中城跡バス停」下車、目の前が山中城駐車場
[駐車場]大手門跡そば(20台ほど)と台崎出丸の西下(大型バスも駐車可能な大きな駐車場)の2か所あり
[見学時間]ゆっくり見て2時間くらい
[服装]靴はスニーカーでOK、冬は防寒対策が必要
[トイレ]大手門跡そばの駐車場に2か所あり
[その他]自販機あり。東屋があるのでご飯を食べられるが、近くにコンビニなどはないため持っていく必要がある

西股総生(にしまた・ふさお)
1961年、北海道生まれ。城郭・戦国史研究家。学生時代に縄張のおもしろさに魅了され、城郭研究の道を歩む。武蔵文化財研究所などを経て、フリーライターに。執筆業を中心に、講演やトークもこなす。軍事学的視点による城や合戦の鋭い分析が持ち味。主な著書に『戦う日本の城最新講座』『「城取り」の軍事学』『土の城指南』(ともに学研プラス)、『図解 戦国の城がいちばんよくわかる本』『首都圏発 戦国の城の歩き方』(KKベストセラーズ)、『杉山城の時代』(角川選書)など。その他、城郭・戦国史関係の研究論文・調査報告書・雑誌記事・共著など多数。

執筆・写真/かみゆ歴史編集部(滝沢弘康・二川智南美)
「歴史はエンタテインメント!」をモットーに、ポップな媒体から専門書まで編集制作を手がける歴史コンテンツメーカー。手がける主なジャンルは日本史、世界史、美術史、宗教・神話、観光ガイドなど歴史全般。主な城関連の編集制作物に『日本の山城100名城』『超入門「山城」の見方・歩き方』(ともに洋泉社)、『よくわかる日本の城 日本城郭検定公式参考書』『完全詳解 山城ガイド』(ともに学研プラス)、『戦国最強の城』(プレジデント社)、『カラー図解 城の攻め方・つくり方』(宝島社)、「廃城をゆく」シリーズ(イカロス出版)など。

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