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にのまる

大晦日攻城 (2018/12/31 訪問)

久留米城本丸は歴代藩主を祀る篠山神社。
初詣の人たちでいっぱいの三が日にカメラを持ってうろうろするのは迷惑かつ不審にちがいないので、大晦日に駆け込んで来ました。
艮巽坤乾と月見、太鼓、西下の7基の櫓跡に2つの井戸跡など、遺構ひとつひとつに説明石を設置してくださっています。
ミカンの木があったから「蜜柑丸」と呼ばれている帯曲輪だったところの石垣が「ばりえぐかった!」

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ブラタヌシ

太宰府防衛ラインの山城 (2019/01/04 訪問)

本年最初の攻城は、佐賀県基山の基肄城跡❗️
昨年の豪雨でかなり被害は有るものの、山頂は気持ちの良い景色が見れました。😁

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チェブ

女城主でも男城主でも、どっちでもいい! (2018/12/30 訪問)

大河ドラマ「女城主 直虎」の舞台「井伊谷城」です!この年、ずいぶん直虎の生き方に励まされました。
オープニングのパッパッパーの曲の始まりで泣けます!(もう病気です)
念願の「井伊谷城」山城ですが大河ドラマ効果か舗装された坂道や手すりも新しい感じです。
ありがとうございます!
だけど、私の運動不足の足では辛い坂道です。足も肺もいっぱいいっぱいで上がりました。
まず虎口が見えた時は「ホッ」としました。
ここから龍潭寺に行来してたなんて!戦国の方々の脚力すごいですね!

直虎は男だった説が有力視されてます。でも、戦国の時代を生きて今に繋いでくれた事は事実です。
直虎さーん!今も「井伊谷城」大切にされてますよー!

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名桐

寂寥感 (2018/12/14 訪問)

決して派手ではありませんが、戦の城としての機能性が随所に見られます。

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はぬ

木造復元天守 (2018/12/26 訪問)

想像復元といっても過言ではない。

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はぬ

復興天守 (2018/12/26 訪問)

神奈川県唯一の天守閣。

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ゆきな

躑躅ヶ崎館 (2018/11/19 訪問)

信玄さまを祀る神社となっていて、かつての居館感は所々のみの為、もっと城跡としての案内が欲しいところです。勿体ない…神社の裏手で発掘調査が行われており、新たな発見を期待。

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はぬ

天守代用櫓(富士見櫓) (2018/12/26 訪問)

現存14天守の内の一つとしてこれからは主張しても良いのではないだろうか。

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ゆきな

小田原城

翌日元旦に生け花展を開催するために、その準備として閉館して城内には入れませんでした(涙)
入口の警備のおじさんにお願いしたらお城スタンプを持ってきてくれて、スタンプだけはゲットできました。また今度ゆっくり訪れます~

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ゆきな

江戸城 (2018/05/05 訪問)

とても広いです。石垣や堀など流石は徳川家!立派です。初めての登城だったのでボランティアガイドのツアーに参加しました。楽しかったです♪

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にのまる

旧本丸の杉木立がステキでした。 (2018/12/30 訪問)

延岡城からさらに日豊線を南下。佐土原城に行きたいところですが、夏の豪雨の影響で本丸はまだ無理らしいので今回はパスして日南線に入り、飫肥城へ。この地に来るのは学生時代にカープの日南キャンプを見に来て以来です。清川栄治投手推しでした(^^)*年代推測禁止🙅‍♀️
共通入館券でまわれる7館は年中無休。スタンプも年中無休。JR利用だと団体扱いになりチケット代は¥510でした。
城下町をひととおり見てから飫肥杉の大手門をくぐり、松尾の丸、旧本丸などまわりました。4本の木の真ん中に立つと幸せになるという“しあわせ杉”があったので、真ん中はどこだろうと思ったら、立っている場所がまさにそうでした。
旧本丸から飫肥中学校側に降りて、旧藩校「振徳堂」を見て帰りました。


ただ今私、熊本にいます。(まだ九州うろうろしています^^;)
昨夕、大きな地震がありました。幸い被害は大きくはなさそうです。
今日、無事に帰京できるかはなりゆきに任せます。

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tn942434

2019初登城 (2019/01/03 訪問)

20年のペーパードライバーを脱出して車で。
正月だったので、金山城の手前にある子育て呑龍(神社)の駐車場に入る渋滞にはまり、時間をくってしまった。やっと抜けたら「どこまで登るんだ」と山道をクネクネ→やっと駐車場。眺めがいい!
吹きすさぶからっ風の中、ネットで見た池だ!石垣だ!と大興奮。地元にこんな素晴らしい城跡があったとはね…。ごめんなさい。
富士山見えました!

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くろもり

義の男二人 (2013/08/14 訪問)

上杉景勝公と直江兼続公が築城したとされる神指(こうざし)城。確認できる城域は本丸と二ノ丸ですが、本丸と二ノ丸だけでも鶴ヶ城を凌ぐ大きさだったことが、現地の説明板の空撮写真で分かり、とても驚いた記憶があります。それ以上に、その縄張りの簡易さに驚きましたが。訪れる前は徳川家康と喧嘩する為の城と思っていたのですが、現地を見てみて、防御よりも阿賀川との接続の経済性を重視した築城地と縄張りだなと感じました。

城址は本丸が田圃の中にぽつんとあり、二ノ丸の土塁が所々残っています。本丸内部は農家の方の畑になっており、今も残る本丸の土塁の高さで内部は全く見えませんでした。

二ノ丸南の土塁には、如来堂があり。ここは幕末に、新選組の斎藤一が守備していたところ西軍の襲撃を受けて、新選組が多数の死者を出した所です。鶴ヶ城の投稿でも書きましたが、大事なことなので2回書きます。会津を脱出しようとする新撰組他隊士に斎藤一が語ったとされる言葉です。「今、落城せんとするのを見て、志を捨て去る、誠義にあらず」斎藤一・・・男じゃねえか。

上杉景勝公は、本能寺の変の直前に佐竹氏に送ったとされる書状が清々しくて個人的には好きですね。ここに書くと長くなるので、気になった方はネットで検索したら出てくるので調べてみてください。

建物も石垣もありませんが、そんな義の男二人の面影が残る城です。

本丸と二の丸の東側に無料駐車場ありました。

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朝田 辰兵衛

武家屋敷もいい風情。 (2017/11/19 訪問)

この日は出丸の薬医門付近が,紅葉バッチリでした。

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mori_chan

二条城

市街地の中に忽然とあらわれる櫓。二の丸御殿の大広間には大政奉還の様子をあらわす演出も。
近隣の西本願寺にも、聚楽第の建物という飛雲閣があり、見どころ多い一角。

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あつ

スタイリッシュな櫓 (2019/01/03 訪問)

お正月休みに冬の金沢へ行ってきました。まず向かった金沢城公園では見どころの一つ、モノトーンのなまこ塀が。美しい!積み方の異なる石垣を1箇所で見れるのも珍しかったです。1/1〜1/3まで兼六園が入園無料で入園できたのもうれしいサプライズでした。

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カッチャン

思っていた通り (2019/01/03 訪問)

工事中で全部見れなかったのが残念

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カルビン

大分県でも朝駆け (2018/12/30 訪問)

記事upする直前に九州・熊本中心の震度6弱の地震が・・・皆様が御無事で有る事を願います(ー人ー)


さてup続いております九州行軍紀行ですが、
日付変わってまだ真っ暗なうちに大分駅前のホテルを出て、上原館に向かいました(AM6:00)
折角遠くまで来ているので、1ヶ所でも多く回りたい訳で(遠くなくてもいつもそんな事言ってますww)

寒さ&真っ暗な中駅から歩いて20分程、奇跡的に迷う事無く上原館に到着・・・も、早く出発し過ぎたせいで辺りは真っ暗なままw
かと言って次の地に向かう電車の時間もあり、ここでもフラッシュ撮影。
公園となっている上原館内には全く街燈が無く、事前情報の記憶をたどって主だった場所を撮影しました。

出発予定時刻になっても周辺は暗いまま(向うの空がやっと明るくなってきた状態)でしたが、待っている訳にもいかず、大分駅に移動しました・・・

暗い中ではありましたが、おそらく遺構は残っておらず、高台に石碑と解説が複数あっただけだと思います。
ま、折角大分まで来たからには見学しないと勿体ないってところでしょうか(大友氏館と同じですねw)

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mori_chan

高城氏の伝承が残る

高根城があった「城高山」の台地中段にある民家の周りを取り巻くように、土塁と空堀がめぐっている。ここは東と北側が特に顕著であるが、四方を土塁が取り巻いて一つの郭をなし、土塁は2mから3mほどの高さで空堀の深さも3m位ある。その民家の南から西、さらに北へ取り巻くように続く道は、あるいは堀底道の可能性がある。また、その道の民家から見て西南隅の外側に、土塁の残欠がある。
台地上段には城の主郭と思われる場所があり、「番場」という屋号の家がある。 高根城は、小金城主高城氏の一族である高城山城守の居城とも、高城氏の家臣である高城右京亮の陣屋であったともいうが、何れにせよ高城氏系の城と考えられる。
城高山の谷津を挟んだ西側には、曹洞宗の高根寺があり、ここも城の出城というような場所であった可能性がある。
高根寺は十一面観音を本尊とし、天福元年(1233)に尼僧がこの地に来て小山寺としたものを、高城山城守の一族高源院殿和仲昌誾大禅定門の菩提を弔うために高城山城守が再興した、あるいは高城山城守が奥方の菩提を弔うために十一面観音を安置した寺だといい、寺の紋は千葉氏と同じ九曜である。

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mori_chan

千葉氏の姫出家の伝承をもつ城

千葉氏宗家の千葉胤綱が熊野権現を信仰し、娘の七才になる藤姫を仏門に入れ、尼となった藤姫が寺に入って以降、千葉氏の姫が出家し庵主となった寺を守るようにして存在した城という。
城の遺構としては、土塁が民家にある程度で、城の規模も小さかったかもしれない。
昭和になって建てられたものであるが、妙見社が城域にある。

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