都道府県のお城シリーズ 【北海道のお城】 函館から広がる、アイヌや開拓の歴史に関わるお城とは?

日本100名城、続日本100名城を中心に、各都道府県を代表するお城をご紹介します。今回は北海道編。主に函館を中心に点在し、日本最後の日本式城郭の松前城や、西洋式の星型城郭である五稜郭などが有名です。また、知られざるお城として、志苔館や上之国勝山館などの道南十二館という城跡や、根室などの各地にアイヌ民族が造ったチャシと呼ばれる城跡もあります。観光の際にぜひ訪れたい、個性あるユニークなお城を見てみましょう!



五稜郭
五稜郭(提供元:ニッポン城めぐり)

北海道にお城ができた歴史的背景とは?

北海道は古くから蝦夷と呼ばれ、アイヌの人々が根室など各地にチャシという砦を造っていました。鎌倉~室町時代に、和人が貿易のために函館付近へ移り住み始め、志苔館(函館市)や上之国勝山館(檜山郡)などの小規模なお城を建てて、アイヌとの戦いを繰り広げました。その後、函館港を外国船から守るために、松前城(松前郡)や五稜郭(函館市)を築き、のちに開拓の拠点となりました。

北海道にお城はいくつあるのか?

北海道には、日本100名城のお城が3つあります。日本で最後に造られた日本式城郭の松前城(松前郡)は、桜の名所でお花見シーズンの観光がおすすめ。日本でも珍しい西洋方式である稜堡式城郭の五稜郭(函館市)は、新選組の土方歳三らの最期の地で、歴史好きなら訪れたいスポットです。アイヌの人々が建築した城跡である、根室半島チャシ跡群(根室市)では、すぐ側の納沙布岬で日本一早い日の出が見られますよ。

続日本100名城のお城は2つあり、アイヌの首領コシャマインとの戦いの舞台になった志苔館(函館市)と、松前藩の祖である武田信広が築いた上之国勝山館(檜山郡)があります。 根室半島チャシ跡群以外の城跡は、すべて函館付近にあるので、まとめて巡るのもおすすめです。

■根室半島チャシ跡群(日本100名城) 

北海道、根室半島チャシ跡群
アイヌ語で「砦」を意味するチャシは、守備や祭事に使われた(提供元:発見!ニッポン城めぐり)

日本最東端の城跡である根室半島チャシ跡群は、16~18世紀ごろにアイヌの人々が造った砦で、海に面した崖の地形を生かして堀をめぐらせた「面崖式(めんがいしき)」になっています。チャシとはアイヌ語で「山の上にある柵で囲まれた場所」という意味です。会合や祭事を行う場所でもあり、今は土塁と堀だけが残っています。

アイヌの人々は、鎌倉時代から北海道に移り住んできた和人と衝突する事も多く、各地にチャシを造って攻防を繰り広げたといいます。北海道内のチャシ跡は約500ヶ所あり、なかでも保存状態がよく数の多い根室半島チャシ跡群は、国指定史跡になっています。近くには日本一早い朝日が見られる納沙布岬と、根室駅前にはスタンプが押せる観光インフォメーションセンターがありますよ。

所在地:北海道根室市根室半島一帯
アクセス:JR「根室駅」から根室交通バス「納沙布線」で約45分「納沙布岬」下車、徒歩で約30分など
楽しみ方:城跡見学 ハイキング


■五稜郭(日本100名城)

北海道、五稜郭、稜堡式城郭
五稜郭は、日本の城でも珍しい西洋技術を取り入れた稜堡式城郭

五稜郭は安政4年(1857)に、欧米列強から北方を守るため、江戸幕府の命で武田斐三郎が設計した、日本初の西洋方式の星型要塞(稜堡式城郭)です。幕末の箱館戦争の舞台になり、土方歳三ら新選組の最期の地としても有名です。日本では稜堡式城郭は、五稜郭と龍岡城(長野県)の2つだけで、なぜ星の形かというと、五ヶ所の突き出した先端(稜堡)すべてから砲撃して、死角なく防御するためなんです。前方の一ヶ所にある、半月堡(はんげつほ)という、防御のために突き出た三角形状の出塁(馬出)が、稜堡式城郭ならではの特徴です。兵糧庫は当時使われた本物が現存しています。

約1,600本の桜があるお花見スポットでもあり、周辺は函館グルメも楽しめます。
星型の姿が眺められる五稜郭タワーと、当時の様式で再建された箱館奉行所には充実した資料があるので、ぜひ訪れてはいかがでしょうか?

所在地:北海道函館市五稜郭町44
アクセス:市営電車「五稜郭公園前」下車、徒歩約18分
JR「函館駅」から函館バスで約15分、「五稜郭(電停前)」下車、徒歩約18分、 または「五稜郭公園入口」下車、徒歩約10分
楽しみ方:城跡見学 花見 資料館(五稜郭タワー、箱館奉行所)


■松前城(日本100名城)

松前城、日本式城郭
日本最後の日本式城郭である松前城(提供元:ニッポン城めぐり)

松前城は、石田城と並ぶ日本最後の、そして北海道で唯一の日本式城郭です。慶長5年(1600)に、初代松前藩主の松前慶広が前身となる福山館を建てました。そして、嘉永3年(1850)に、ロシアなどの外国船の警備のために江戸幕府の命により、松前崇広が市川一学の設計で現在の姿の天守を築きました。本丸、二の丸、三の丸、楼櫓6、城門16、砲台7座があります。幕末の箱館戦争の際に、砲台が海に向けて造られていたため背後が手薄で、土方歳三ら新選組が率いる旧幕府軍に数時間で攻め落とされ、石垣には当時の弾痕も残っています。昭和24年に火災にあいましたが、のちに天守が再建されました。

付近には江戸時代の町並みを再現した松前藩屋敷や、北海道で一番早く桜が咲く名所の松前公園があります。夜のライトアップは、お城と桜のコントラストが楽しめますよ。

所在地:北海道松前郡松前町字松城144
アクセス:JR「木古内」から函館バスで約1時間30分、「松城」下車、徒歩約10分
楽しみ方:城跡見学 花見 資料館


■志苔館(続日本100名城)

志苔館、コシャマイン
アイヌの首領コシャマインとの戦いの舞台である志苔館(提供元:発見!ニッポン城めぐり)

室町時代に、陸奥の豪族の安東政季は、志苔館(しのりだて)を含む道南十二館という十二ヶ所の小規模な館(たて)を造って、家臣に守らせていました。

康正3年/長禄元年(1457年)に、アイヌの首領コシャマインと和人との衝突があり、 志苔館などを攻め落とされましたが、安東政季に招かれた武田信広が計略で勝って取り戻しました。約38万枚の古銭をはじめ、陶磁器や金属製品なども発掘され、現在は土塁や二重空堀、井戸跡などの遺構と、案内板などを見ることができます。函館空港や湯の川温泉から近く、目前に津軽海峡や函館山も眺めることができますよ。

所在地:北海道函館市志海苔町、赤坂町
アクセス:JR「函館駅」から函館バスで約35分、「志海苔」下車、徒歩約5分
楽しみ方:城跡見学 ハイキング


■上之国勝山館(続日本100名城)

上之国勝山館、武田信広
松前藩の祖でもある武田信広が築いた勝山館(提供元:発見!ニッポン城めぐり)

アイヌの首領コシャマインとの戦いで志苔館などを取り戻した武田信広は、寛正3年(1462)に、函館付近にある上之国(かみのくに)に勝山館(かつやまだて)を築きました。こちらでも約5万点の陶磁器や金属製品、アイヌの骨角器も見つかっていて、和人とアイヌが共存していたと考えられています。

武田信広は松前藩の祖でもある人物で、安東政季の家臣・蠣崎季繁の娘婿になり、蠣崎に姓を改めます。その子孫が、アイヌ語で婦人のいる所を意味する地名「マトマエ」にちなんで松前に姓を改め、松前藩ができました。

勝山館は函館付近では比較的大きな館で、遺構として、空堀や土塁のほか、掘立柱建物、橋、道、井戸、庭などがあります。勝山館跡ガイダンス施設では出土品の展示や、CGでの復元映像も見られますよ。

所在地:北海道檜山郡上ノ国町字勝山
アクセス:JR「木古内駅」から函館バスで約1時間10分「大留」下車、徒歩3分のバス停「上ノ国駅前」から約8分、「上ノ国」下車、徒歩約3分
楽しみ方:城跡見学 ハイキング 資料館(勝山館跡ガイダンス施設)

【参考文献】
日本100名城公式ガイドブック 日本城郭協会、福代徹/著
https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4056046387

執筆/yotusiro(よつしろ)
北海道出身。北海道のグルメと観光に詳しく、幕末と刀剣が好きな歴女。戦国武将や城郭を巡る旅行が趣味。

※歴史的事実や城郭情報などは、各市町村など、自治体や城郭が発信している情報(パンフレット、自治体のWEBサイト等)を参考にしています

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