真田一族の城 第2回 真田家の本拠松尾城をめぐる謎(下)

真田氏墓所跡と推定される「日向畑遺跡」と、日向屋敷が放棄されたのは何故か。

それは天文10年(1541)5月、真田氏は隣国上野国へ亡命を余儀なくされたからであろう。天文10年5月13日、甲斐の戦国大名武田信虎は、同盟国諏方頼重(諏方郡の領主)、そして盟約を成立させた埴科郡葛尾城主村上義清と連合を組み、佐久・小県郡に侵攻を開始した。目標は、海野棟綱を統領とする滋野一族攻略である。真田氏は滋野一族であるので、惣領海野棟綱とともに連合軍と戦った。だが海野平合戦など各地の戦闘で撃破され、25日に総崩れとなり、棟綱を奉じて真田幸綱を始め多くの滋野一族とその家臣らは、関東管領上杉憲政を頼って上野国に亡命した。真田領は、村上義清の手に落ちた。かくて真田幸綱は、村上打倒と本領回復を悲願とし、後に武田信玄に従属。義清に、戦いを挑むのである。やがてそれは実現し、信玄は真田領を手中に収め、幸綱に返却したとされている。

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松尾古城(提供:発見!ニッポン城めぐり)

ところで実をいえば、戦国期に松尾城が真田幸綱・信綱・昌幸時代に使用されていたことを示す確実な史料は確認されていない。だが、遺構や縄張の規模や形態から戦国期に利用されたことは認定してよいだろう。たしかに松尾城は、その規模といい、険阻な地形に恵まれていることといい、真田領の北端にあって所領全体を俯瞰でき、交通路も監視できる絶好の位置にある。近世松代藩も、調査を重ね、伝承の把握も含めて戦国期真田氏の居城と認定したのだろう。

だとすれば、松尾城は、信玄の支援を受けて本領を回復した真田幸綱が再び使用したことは間違いないだろう。ところが、そうであるなら、幸綱が麓の日向屋敷と隣接する真田氏墓所を再興してもよさそうだ。ところが、そのような痕跡は見いだせず、幸綱は別の場所に屋敷を構えたと推定されている。なぜなのか。その秘密を解く鍵は、幸綱の系譜にありそうなのだ。

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戦国期真田氏推定略系図

真田幸綱の出自については諸説あり、実は定まっていない。最も著名なのは、近世松代藩公式見解、すなわち滋野一族の惣領海野氏の嫡流海野棟綱の息子とするものだ(『寛政重修諸家譜』『真武内伝』『滋野世記』など)。ところがこの他に、海野棟綱の息女の婿とするもの(「滋野正統家系図」など)、海野棟綱の子幸義の嫡男とするもの(「白川藩士海野氏系図」など)、海野棟綱の息女が生んだ男子であるとするもの(「小県郡海野白鳥系図」「良泉寺矢沢系図」など)などがある。

詳細な検証は割愛するが、現在の研究によると、幸綱の生母は海野棟綱の息女で、彼女は真田右馬佐頼昌に嫁ぎ、嫡男幸綱を産んだとする見解が有力になっている。海野棟綱の嫡男説は、後世に創作されたものなのだろう。ところが近年、重大な学説が提起された。それは、真田幸綱は真田氏の嫡男ではなかった可能性が高いというものだ。

武田信玄が、永禄10年(1567)に、甲斐・信濃・上野国の家臣、国衆より提出させた「生島足島神社起請文」のうち、小県郡国衆海野氏の麾下「海野衆」の一員に、真田右馬助綱吉という人物が登場する。この真田右馬助という人物は、武田氏滅亡後、真田昌幸に仕えたことが確認できる。ところが、後に退身したとみられ、小諸城主仙石秀久に仕えて三〇〇貫文の知行を与えられ、重臣に列せられた。時期的にみて、仙石秀久に仕えた真田右馬助は、綱吉の息子だろう。この真田綱吉こそ、幸綱の父真田右馬佐頼昌の官途を継ぐ真田の本家筋であったというものだ。つまり、幸綱には真田右馬助綱吉という兄がおり、彼こそが嫡流だったわけで、幸綱は傍流だったことになる。

この学説は、多くの研究者に注目、支持されている。道理で、幸綱系の子孫は、先祖の痕跡を消し、海野棟綱とダイレクトに結びつけようとしたわけだ。しかも、真田家には、幸綱以前の文書がまったく残されていない。それは嫡流ではないため、家伝文書などを伝えていないのだろう。ここまで紹介すれば、なぜ真田幸綱が真田家墓所や日向屋敷を再興しなかった理由が推定できるだろう。

本家筋ではない真田幸綱にとって、先祖を祀る意識が乏しく、むしろ没落した名族海野棟綱との関係を強調することで、真田家初代としての地位を確立しようとしたことと関係があるのではないか。こうした政治的な思惑もあって、先祖以来の墓所を放棄し、屋敷も再建せず、逆にほんらいの真田氏の歴史や系譜を消していこうとしたのではないだろうか。

いっぽうの本家筋の真田綱吉の系統は、幸綱の武田氏に従属した時に行動を同じくせず、上野に残留して出仕が遅れたか、もしくは弟幸綱が武田氏のもとでめきめきと頭角を表すいっぽう、目立った功績を挙げることができず、信玄に評価されなかったのではないだろうか。その結果、真田家嫡男なのに、信玄によって家督から排除され、真田領を受け取れなかったと推定される。

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平山​優(ひらやまゆう)
歴史学者
1964年生。山梨県埋蔵文化財センター文化財主事、山梨県史編纂室主査、山梨大学非常勤講師、山梨県立博物館副主幹を経て、現在、山梨県立中央高等学校教諭。2016年大河ドラマ「真田丸」の時代考証を担当。

著書
『武田信玄』『長篠合纖と武田勝頼』(吉川弘文館)
『戦国大名領国の基礎構造』(校倉書房)
『天正壬午の乱[増補改訂版]』(戎光祥出版)
『山本勘助』(講談社)
『真田三代』(PHP研究所)ほか多数

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