熊本城の「いま」 熊本城の「いま」第3回 | よく見える熊本城の復旧過程

2016年4月14日に前震、16日に本震が襲った平成28年熊本地震。熊本城は、重要文化財や復元した城門や櫓が被災、石垣は約520面が膨らみ・緩み・崩落しています。今回は、この厳しい状況からいかに復旧していくのか、現在どこまで復旧しているのかについてレポートします。

熊本城復旧に向けていよいよ本格スタート

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二の丸広場では見学通路を用いて、大小天守と宇土櫓が見やすいように整備されている

まず、熊本城の復旧に向けて「熊本城復旧基本計画」が2018年3月に策定されました。震災後、「7つの基本方針」を定めて調査・工事が進められてきましたが、スケジュールを始めとして、いよいよ具体的に動き出すための計画(熊本城復旧基本計画)が出来上がりました。基本方針の中でも今回は特に3つ、「復興のシンボル『天守閣』の早期復旧」、「復旧過程の段階的公開と活用」、「100年先を見据えた復元への礎づくり」について詳しくご説明します。

大天守は2019年秋ごろに外観復旧

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昼も夜も圧倒的な存在感を見せる天守閣

熊本城は至るところに被害を受けていますが、現在最優先で復旧工事が行われているのは、天守です。宙に浮いたような小天守と、足場に囲まれた大天守ですが、2021年度の復旧完了を目指しています。大天守は4月に1体の鯱(しゃちほこ)が載り、2019年秋ごろには外観が復旧する予定です。みんなが待ち望んでいる天守閣を早く見たいですね。これが、基本方針のひとつ「復興のシンボル『天守閣』の早期復旧」です。

天守のほか優先されているのは、飯田丸五階櫓です。「奇跡の一本石垣」としてニュースで記憶されている方も多いのではないでしょうか?現在は櫓の解体保存工事を行っており、解体完了後は石垣の解体にとりかかる予定です。

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飯田丸五階櫓には近づけないが、熊本市役所14階展望ロビーからよく見える

よく見えるように工夫された復旧過程

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「石垣復旧の主な手順」を示す復興見学ルートの案内板

次に「復旧過程の段階的公開と活用」についてです。現在の熊本城には、今しか見ることのできない復興見学ルートが作られており、この復興見学ルートを中心に、前回ご紹介した「くまもとよかとこ案内人」さんのガイドツアーが実施されています。熊本城の域内および周辺24カ所に案内板が設置されており、この案内板をたどるだけでも復旧の様子や手順がよく分かります。

また、連載第1回でご紹介しました、二の丸広場から見える「大天守、小天守と宇土櫓がスクラムを組んでいる姿」も、復旧過程が見えるように工夫された一例です。二の丸広場に設けられた見学通路には当初はたくさんのプラスチックフェンスが置かれていましたが、フェンスではなく木の柵に変えたことで、よく見えるようになりましたし、フェンスによる圧迫感もなくなりました。

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見学通路に設置された木の柵は熊本城の雰囲気に合っている

さらに、視線の先にある天守をよく見みると、実は透過性があり内部がよく見えるメッシュシートで覆われているのです。おかげで天守の復旧工事の様子もよく分かります。

2019年に復旧予定の大天守外観ですが、この大天守の復旧に合わせて、工事の過程が見られる見学通路(仮設)が整備される予定です。この見学通路が完成すれば、熊本城の代名詞のひとつだった「二様の石垣」や、飯田丸五階櫓、重要文化財の櫓群が見学できるようになるそうです。

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天守の工事の様子。メッシュシートで覆われているので、復旧工事の様子がよくわかる

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加藤清正の時代と、その後の時代による、積み方の違いがはっきり分かる「二様の石垣」※現在は見学不可

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崩れた石垣は回収され、熊本城内の各所の仮置き場に並べられている

城内では、崩れてしまった膨大な量の石垣に圧倒されます。この石垣を元の場所に戻すのかと考えると気が遠くなります。
また、同じような場所にある建造物でも被害には大きな差があり、地震の不思議さを思い知らされます。

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同じような場所にあっても崩れ方が大きく異なる

目指しているのは江戸時代の熊本城!?

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熊本地震前の熊本城。この状態に復旧するだけが目標ではない

現在進められている復旧工事は、まず「熊本地震前」に戻すのが目的です。でも実はもっと大きな視点で、熊本地震の前は前でも、江戸時代に描かれていた熊本城を目指しているのはご存知でしょうか? 熊本城は、明治10年(1877)に起こった西南戦争開戦直前に焼失した大小天守と本丸御殿のほか、多くの建物が陸軍による解体などで失われています。現存する絵図を元に、幕末の熊本城を目指そうというのが最終的な目標です。その思いが、「100年先を見据えた復元の礎づくり」という言葉に込められています。

西南戦争以外にも、明治22年(1889)に起きた金峰山(きんぽうざん)地震でも熊本城は大きな被害を受けています。この時の熊本城の被害については、「震災ニ関する諸報告」(宮内公文書館蔵)に詳細にまとめられていましたが、地震の記憶は時とともに風化していました。その反省を生かして、今回の熊本地震の歴史を将来に継承していくことも求められています。

新発見!熊本城を造った職人さんの願い事?


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二の丸広場近くの宮内橋周辺で見つかった石

地震で崩れたことによって新たに見つかったものもあります。連載第1回目では、加藤神社で見つかった「観音様が刻まれた石」をご紹介しましたが、それ以外にもユニークな石が熊本城で見つかっています。「熊本城ミュージアムわくわく座」2階に展示されている、何とも愛らしい人型が刻まれた石です。まるで落書きのようにも見えますが、「これからもずっと丈夫な石垣でありますように」と石工さん(石を加工して石垣を積む職人)が願いを込めたものだと考えられています。

熊本城への想いあふれる!復興城主制度

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熊本城ミュージアムわくわく座2階にあるデジタル芳名板。「湧々座」の箇所に復興城主の名前が入ります

復興城主制度は、1万円以上を寄付すると「城主手形」と「城主証」が発行され、さらにデジタル芳名板に登録されるもの。「熊本城ミュージアムわくわく座」にはそのデジタル芳名板ブースがあり、自身の名前がスクリーンに投影されます。ちょうど取材時にも、復興城主の男性が、投影された自身の名を誇らしげに見つめておられました。2016年11月に開始され、2018年3月時点で約8万8000件、金額で約16億2400万円が集まっています。また、復興城主制度とは別に「熊本城災害復興支援金」として集まったのは約2万800件、金額として約18億2887万円。合わせると34億5000万円を超える金額が集まっているのです。国内はもちろん海外の方も復興城主になられる方も増えているそうで、熊本城に対する強い想いが伝わってきますね。

復興城主になるには、専用振込用紙による振込み、熊本城総合事務所または「桜の馬場 城彩苑」内「わくわく座」での現金申込み、そしてふるさと納税サイトを通じたクレジット決済の3パターンがあります。
詳細はhttps://kumamoto-guide.jp/kumamoto-castle/fukkou/をご参照ください。

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復興城主の推移は「くまもとよかとこ案内人の会」吉村会長の資料にびっしり書き込まれていた

2018年3月に策定された熊本城復旧基本計画について、その一部をご紹介させていただきました、天守の復旧が優先して進められていますが、実は100年先まで見通した壮大な計画です。復旧過程がよく見えるように工夫されていますので、ぜひご自身の足で熊本城の復旧状況を見届けてみてはいかがでしょうか。

※記事中のデータはすべて取材時(2018年4月4日)の情報となります。


執筆・写真/藪内成基(やぶうちしげき)
奈良県出身。30代の城愛好家。国内旅行業務取扱管理者。出版社にて旅行雑誌『ノジュール』などを編集。退職し九州の城下町に移住。観光PRやガイドの傍ら、「城と暮らし」をテーマに執筆・撮影。『地域人』(大正大学出版会)など。海外含め訪問城は500以上。知識ゼロで楽しめる城の情報発信を目指す。

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