お城の現場より〜発掘・復元最前線 お城の現場より〜発掘・復元の最前線 第10回 |【小峰城跡】東日本大震災からの復興に伴う調査と成果

日本全国で行われている城郭の発掘調査や復元・整備の状況、今後の予定や将来像など最新情報をレポートする「お城の現場より〜発掘・復元・整備の最前線」。今回は、白河市文化財課 鈴木一寿さんに、東日本大震災で被害を受けた小峰城跡(白河小峰城)(福島県)の、震災で崩落した石垣の修復状況と修復調査で得られた知見を紹介していただきます。

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小峰城跡のシンボル 三重櫓と前御門

東日本大震災での被害

2011年3月11日に発生した東日本大震災(白河:震度6強)により、小峰城跡(白河小峰城は本丸を中心とした石垣が10か所にわたって崩落する被害を受けた。崩落した石垣は、総延長約160m、面積約1,500㎡を測り、崩落石材は約7,000石である。

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東日本大震災での被災状況(上空南から。2011年4月撮影)

また、1991、1994年に史実にもとづいて木造で復元された三重櫓・前御門についても、瓦の落下や壁面の破損などの被害があり、東日本大震災における文化財の被害としては最大規模となった。

震災からの復興に向けて

石垣の修復にあたっては、文化財石垣として、調査で明らかとなった江戸時代における小峰城跡の石垣構築方法にならい、伝統的な工法により修復することを基本方針とした。

修復作業は、①被災状況の記録、②石材搬出、③発掘調査、④石材カルテの作成、⑤地質調査、⑥石材元位置の特定、⑦崩落原因の究明、⑧修復範囲の検討、⑨修復方法の検討、⑩修復作業、⑪市民への公開の手順で行なっている。

崩落した石材の崩落位置を観測し、被災前に撮影された写真を基に照合したのち、元位置に戻している。崩落時の破損により、再利用が不可能な石材については、同じ寸法の新材に置き換えて修復している。

石垣復旧に伴う調査がもたらした発見

修復にあたり、石垣背面や根石部分の発掘調査を行い、城郭の地形や土地利用の変遷、江戸期における石垣構築方法、石垣修復の痕跡などを確認することができ、絵図・文献からは知りえなかった新しい知見を得ることができた。

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本丸南面背面盛土確認状況(南から)

本丸南面では、石垣背面の盛土層の調査から、下部の盛土から出土した遺物の年代から16世紀前半以降に谷地形を人為的に埋め戻して本丸の平坦面を造成したことが明らかとなった。

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竹之丸南面石垣下端部確認状況(上空南から)

竹之丸南面の下部では、複数回の修復の中で石垣の平面形の変更が行われたことも明らかとなった。当初の石垣は一文字(直線)の石垣であったが、修復により輪取り(曲線)の石垣に変更されたことが判明した。

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石垣背面の盛土中から確認された石垣(南から)

竹之丸南面の崩落した石垣から約7m奥側の盛土層内から、新たに石垣を発見した。中世の遺構面より上位にあり、近世初期の大規模改修以前と位置づけられることから、会津支城時代に構築されたと考えられる。

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現在の復旧状況(上空南から。2017年12月撮影)

震災を経験し、小峰城跡は白河市民にとってのシンボルであり、心の拠り所であることを再認識させられた。

今回の石垣修復は、可能な限り市民に公開を図りながら進めたが、崩落した石垣の修復過程を自分の目で見ることで、市民にはよりお城が身近に感じられ、市民自身の心の復興にもつながったと感じている。

東日本大震災に伴う震災復旧工事は、現在までに約9割が終了し、2018年度末の工事完了を目標に進めている。


小峰城跡(白河小峰城)(こみね・じょうあと | しらかわこみね・じょう/福島県白河市)
南北朝期に結城親朝により築城されたとされる。天正18年(1590)、豊臣秀吉の奥羽仕置により結城氏が改易された後は、一時会津の支城となった。寛永4年(1627)、丹羽長重を初代藩主として白河藩が成立し、7家21代の居城となったが、慶応4年(1868)の戊辰戦争白河口の戦いにより焼失・落城した。

執筆/鈴木一寿(白河市文化財課)

写真提供/白河市文化財課

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